妊娠出産の話5 | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

次の日の土曜日、朝イチでNICUに娘たちに会いに行って、家に帰って昼寝していたら病院から電話。寝ていたので、電話が切れてから気づいて、かけ直そうとしたら、すぐに夫の携帯がなり、夫が出ました。

 

次女の胃に穴が開いていて、その手術は生まれた病院ではできないので、手術ができるC病院に転院しますと言うことで、色々サインが必要なので病院にきてほしい、と言うことでした。すぐに飛んで行きました。

 

サインをして、そこから実際に救急車に乗って運ばれるまでかなり長い時間待ちました。4時頃に出発。私は救急車の助手席に乗って一緒に行きました。夫は後ろから車でついてきました。運転手の人と話す余裕もありませんでした。

 

着いて、NICUに入れられて、色々手続きをしました。C病院のNICUは二人部屋で、その部屋はもう一人がいなかったので、うちだけで使うことができました。うちの夫は大学に勤めていて、その病院は同じ大学と提携している病院で、その病院の外科医が夫の共同研究者でした。夫はその人に、実はうちの次女がそこで手術をすることになって〜、と言う事情をメールしたところ、その人の同僚が執刀することになって、その人から連絡もらってるよ、と言ってくれました。

 

手術は7時くらいからと予定されていて、それまでずっと待っていました。娘は一人で痰が出せないので、吸引することが必要で、新人ナースとその指導係が二人で吸引していました。しかし様子がおかしくなってきて、RT(respiratory therapist)の人が入ってきて色々してたけど、いきなりのコードブルー。びっくりするくらいたくさんの人が入ってきて私たちは外に出されました。

 

結局、痰を吸引するときに、水を入れるのですが、それを吸い取るスイッチを入れ忘れて水を入れてしまったので、娘は窒息しそうになってのコードブルーでした。正直、怒りが湧きました。めちゃくちゃ初歩的なミス。しかも当然、謝罪はなしです。

 

しかしそんな状態でも、手術は予定通り行われることになりました。麻酔医が日本人の先生だったのですが、正直あまり感じが良くなく、手術前の不安いっぱいの私たちを余計に不安にさせるようなことを言われて、コードブルーの件と合わせてとても気分が悪かったです。

 

手術は無事に終わりました。手術前か後か忘れましたが、輸血をするためのサインをしました。そこからまた別のトラブルが起こりました。