妊娠出産の話3 | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

入院二日目に、会計の人が部屋にやってきて、「今のところ、あなたへの請求額、2万ドルね」って言われてびっくり。それまで大した病気もせず、あまり病院にかかったこともなかったので、自分の保険の仕組みを全然分かってなかったのです。最初はすごく不安で、事情を聞いた医師やナースが、「おたくの旦那さん、〇〇勤務でしょ?そこの保険なら大丈夫だよ」って言われたり、「例え保険でカバーされなくても、子供のために入院しかないんだから、入院しとけばいいのよ」って言われたりしました。

 

とりあえず、夫が300ドルほど払いに行って、その後調べたら、全て保険でカバーされることが判明。特に、ハイリスクでその年のアウトオブポケットを超えていたので、その後、かかる費用は全て保険で賄われました。今までも日本人のカイロの先生にかかっていて、私の保険は針とカイロ合わせて1年で40回までいけるのですが、かなり良い保険だよって言われていたのだけど、身をもって知ることになりました。

 

5月18日の朝、産婦人科の先生が来て「今日帝王切開するよ」と、いきなり決まりました。目標の28週までは行ってないけど、もしお腹の中で感染したら助けることができないけど、外に出てれば助ける道がある、とのことで、その日の3時半くらいから出産になりました。

 

それまで何も食べれないので私はひたすらぼーっと待っていました。不思議とお腹はすかず。長女が16時07分に850g、次女が16:08に720gで生まれました。二人とも両掌に乗るサイズ。私は局部麻酔だったので、ずっと意識があって、すぐに見せてもらうことができました。

 

最後に縫ってもらう時に、「今日、毛を剃ったのは誰だー!」と産婦人科の先生が怒っていて、「もっとしっかり剃るように言っといて!」と言われたのはちょっと恥ずかしかった。

 

その後、手術室の隣の部屋でしばらく様子を見られて、その後、そのまま5階の入院病棟に運ばれました。これまで入院していたのは手術室に隣接する部屋だったのですが、そこから5階に引っ越しました。