いきなり日本帰国が決まりました。いつかは日本に帰るってことで夫婦で一致していて、夫は就職活動を始めていました。しかしもう少し時間がかかると思っていて、また、今回話が進んでいるところがとてもスローペースで、いつ結果が来るのかが全く読めなかったので、いきなり感が強かったのもあります。結果、8月1日から日本での勤務になり、一昨日連絡があって、それ以来、私はずっと泣いています。
自分でも帰りたかったのに、いざ帰るとなるとこんなに悲しくなるなんて想像していませんでした。昔からのいろんな思い出を細かく思い出してしまって、15年も同じところにいて、長くて途中飽きたり、もう絶対日本に帰る!って思った時もあったけど、楽しいこともいっぱいあって、私の中ではこのタイミングではなかったのだと思います。
娘も夫も喜んでいるけど、娘の学校生活を記録したくて始めたこのブログ。結局、前の学校に1年、今の学校に半年しか実際には通っていません。残りの1年半はひたすらオンライン授業。ようやく感染がおさまってきて、これから元通りの生活になるかもしれない期待感があって、来年は全員がキャンパスに戻れそう、よかったね!って思っている時に、もう学校には行けないと決まったことが、娘より私が辛かったです。娘は淡々としたもので、行きたいけど〜、くらいの感じ。
そしてオンライン中に苦労した英語。本当に私も娘も辛くて、すごく苦労したのに、キャッチアップ前に帰るのかという怒りもあります。日本で3年生になるころに帰りたいという思いがあったので、後1年でいいから残りたかったです。でも夫一人で帰るという選択肢は私にはありません。娘もパパがいないとムリ〜という子だし。
あと2週間で今年は終わり。ダメもとでオフィスに聞いてみようと思って、とりあえず昨日PCR検査を受けました。LAUSDは各学校でPCR検査が受けれますが、曜日が決まっており、うちの学校は火曜日ですでに過ぎています。でもそれとは別に毎日検査が受けれるロケーションが複数あり、そこに行って受けました。結果、陰性。
昨日の夜、担任の先生にメールして、今日の午前中、オフィスに電話して、来年はもう学校に戻らないと告げました。うちの学校はマグネット校なので、来年もうちの学校に戻ってくるかどうかのアンケートが少し前にあり、それに戻ってくると答えてしまったので、早く訂正しないと、ウェイティングリストで待っている人たちに影響が出ると思ったのです。その時に、来週からハイブリッドに変えれないか聞いたけど、もう遅すぎる、無理だと言われてしまいました。残念だけど仕方ないと諦めて、そしたらすごく悲しくなってしまって、号泣しました。
もう学校に戻れないのは仕方ないけど、小さい学校で生徒全員を覚えていてくれた校長先生、とってもよくしてくださって、娘も最後に会いたいというので、校長先生にメールしました。日本に帰ること、すごく悲しいこと、できれば学校に戻らせたかったけどオフィスに断れたこと、でも一応PCR検査は受けていて陰性だったこと、オフィスに書類を出さないといけないので、一度学校に行かなければならないが、その時に校長先生に挨拶したいと書いたのです。
そしたら、しばらくして学校から電話がかかってきて、校長先生が娘が学校に行くことをOKしたので、来週からきてくださいとのこと。そして校長先生からもメールが来ました。
I am so sorry to hear that you will not be returning to school next year. We will miss you and your family. 娘 is eligible to return to school next week. Please upload her Covid test results to the portal so that she can return on Tuesday.
We are happy that she will see a few of her friends next week.
って。嬉しくてまた泣きました。
娘に言ったら、喜んでいました。授業の終わりに、担任の先生に言ったら、先生はまだ私のメールを読んでなくて事情が分かってなかったけど、来週から娘が学校に行きますと言ったら、担任の先生も喜んでくれました。そして今日は英語のテストがあって、ついにベンチマークに達した娘。もしかしてEL卒業できるかなと淡く期待しています。
あと約2ヶ月、ロサンゼルスでの暮らしを楽しもうと思います。