自校のツアーに参加してみた話 | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

なぜかわからないが、最近、うちの学校はツアーをしている。なぜこの時期?と思うのだけど、アメリカでは一般的なのか。この時期って私はまだ全然注意を払っていなかったので、去年ツアーがあったのかも知らないけど、SAS(Schools for Advanced Studies)校なので、どうせならechoiceの締め切り前(秋頃)するほうがいいのでは。。。?と思った。

 

先輩ママに聞いたら、校長がツアーするから校長に聞いてみてって言われたので、オフィスに行ったがいない。受付の子と喋りながら待っていたけど、戻ってこない。そうこうするうちに、見学希望者がきたので、その人と喋りながら待つ。その人は、この辺で働いているのでこの学校にいれたいそうな。そういう親はうちのクラスにも何人かいて、勤務先で学校を選ぶらしい。

 

そして時間を過ぎても校長がこないので、オフィスに言いに行ったら、すでに講堂で待機しているとのこと。受付に伝えとこうよ。。。見学希望者と2人で講堂に行き「私も見学していいですか?」というと「いいけど、あなたもういろいろ知ってるからつまんないよ」って言われたので「いえ、私は大して知りません」と言った。

 

2人だけのツアーが始まった。最初はスライドをみながら校長が説明していく。

なんとうちの学校、1836年にできた。日本史で言うとこんな感じ。
●1830年 (天保元年)■伊勢御蔭参り大流行
●1837年 (天保8年)■大塩平八郎の乱
●1839年 (天保10年)■蛮社の獄
●1853年 (嘉永6年)■黒船来航
 

さらに、最初は別のロケーションだったが、1913年にこの地にうつってきた。

●1904年 (明治37年)■日露戦争
●1907年 (明治40年)■足尾銅山で暴動
●1910年 (明治43年)■韓国併合
●1918年 (大正7年)■米騒動
●1923年 (大正12年)■関東大震災

 

こうやって歴史を比較してみると感慨深い。

 

他にも知らないことがいっぱいあった。

・教職員のパーキング。どうしているんだろうと思っていたら、近隣の企業などと協力してもらっておかせてもらっていること。

・約20カ国くらいの国々の人がいること。

・放課後のアフタースクールプログラムは無料だということ。

・アフタースクールプログラムに入れなかった人は、ピアレンツセンターに相談すれば、ベビーシッティングを請け負ってくれること。

などなど。

 

うちの学校で特に素晴らしいのはピアレンツセンターの存在だと思う。他の学校の人に聞いたが、どこにでもあるわけではないよう。近隣の学校とも連携を取っていて、たとえば、小学校中学校と子供がいて、中学校でいじめがあり、でも学校に取り合ってもらえないとき、小学校の(つまりうちの)ピアレンツセンターに相談にいけば、コーヒーを飲んでいる間に、彼女が動いてくれて解決してくれるそうな(と本当に言っていた)。他にも英語がしゃべれない人のために、すごくプライベートなことも協力してくれ、アメリカでの生活が初めての人にはとても心強いと思う。特にヒスパニックの方々。

 

そんなことで、各教室を回って、見学していった。

 

特に施設などずば抜けていいわけではないけど、一応パソコンも全部そろってるし、十分かなと私は思う。人がいいな〜と思うので、ここをやめるのに心がゆらいでくる。娘も楽しんでいるし、私もこの学校が好き。なのに別の学校に行く必要があるのか?と思う一方で、行く予定の学校のEnglish Learnerに対するきめ細かな対応をみてしまうと、やはりあちらで、という思いもある。なにより、やめることを仲良くなった皆に言うのがとても心苦しい。

 

まあアメリカ人は、どんな選択もその人個人の問題って捉える人が多いので、そこまで深刻に受け取らないかもしれないけど。結構出入りは激しいみたいだし。それも合わせて、他校もみてみたいなという気持ちはある。いつ言うのか、タイミングも問題。