無頼ということ 3 | キャリア・カウンセラー札幌のブログ

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過去のブログより。

 

 

「無頼」を辞書でひくと「無法な行いをすること」という

ことになる。

そして「無頼漢」は「ならず者、ごろつき」とある。

しかし、もう一つの意味として「無頼」には「頼るべきと

ころのないこと」ともある。

いずれにしても、あまり良い意味では使われない言葉であ

ろう。

一方、個人事業者や大きな組織に属さない人間は自分や取

り巻きの少数の人間以外に頼るべきものを持たない。

その意味では、こうした人々は「無頼」のもつ第2の意味

の対象であると言えよう。

今回の首相関連の「お友達」や「忖度」の問題を見ていて

思うことは無頼の必要性ということ。

問題の結末はいいとして、国会での役人の答弁や自民党の

幹部の物言いや態度には組織に寄り掛かった、あるいは寄

り掛からざるを得ない立場の人々の同一性が見て取れる。

それは真実を正直に発言しようという誠意や態度が感じら

れないことである。

これは多分、これらの人々にいい意味での「無頼」がない

からであろう。

あーあ「無頼」で良かった。

 

 

1年後に「無頼」でない人達から大量の上記に関連した書

類が提出された。

無いと言っていたものが、こうして提出され(都合が悪く

なると出てくる)、隠ぺいとも言えることが表層化する。

若年者の中で公務員志望の人達が増え続けている気がする

。変化の時代に気後れして、安定志向になることは理解で

きるが、自分の矜持を失った存在にはならぬ覚悟で生きぬ

いてもらいたいものだ。