風・雪・海・空。ハインケルーパーの独り言 -289ページ目

風・雪・海・空。ハインケルーパーの独り言

風・雪・海・空。


その軽やかさと勢い、風の如く。

その重きこと・染み渡ること、雪の如く。

その思慮深きこと、海の如く。

その志高きこと、空の如し。



そんなブログを目指して行きたい。

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毎年今頃ですが、飛行を終えた後の機体のこの部分を触ってみると、極度に冷え切っているのが分かるようになります。

機体風物詩みたいなものでしょうか(笑)、寒い冬が近いことを機体が教えてくれます。
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今朝の天候は曇っておりましたが、私が飛ばし始めると太陽が顔を出し始めました。
地上は無風状態でしたが、上空ではほど良いサーマルを受けて滞空できました。

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HARIMAYAはいつもこの機体の記事ばかり多いが、これしか持っていないのか?という声が聞こえそうです(笑)。
ハイ、そうです!というのはウソですが「この機体を、この時間帯に、この高原で」飛ばすのが今の私のお気に入りフライトなのです。

本当はもっと頻繁にクラブ飛行場やスロープに通って、他の機体をもっと飛ばしたいと言えなくもないのですが、最近のスケジュールがなかなか許してくれないという理由もあります。
しかし何より、この機体の安全性・操縦の簡易さがとても気に入っているのと、何年もの付き合いになり愛着と同時にクセとか性能も知り尽くしていることもあって、変な話一種の「信頼関係」のようなものを感じるというのが大きいですね。
毎回の発進前のワクワク感。この小さな機体が雄大な大空へ吸い込まれて、なおかつ安定した思い通りの操縦を実現。さらに着陸後の満足感で、一週間分のストレスも全て解消してくれる「大事な相棒」なのです。
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私の街では毎年、新潟県中越地震発生の時刻に合わせて市内放送とサイレンが流れ、黙祷を捧げます。
そして写真のような灯りを家々の軒先に灯します。
これを「結いの灯り」(ゆいのあかり)と呼んでいます。

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地震で犠牲になられた方々の御冥福を祈り、また現在の幸福への感謝を互いに確かめ合い、大自然が私達にとって安らぎを与え続けてくれるよう祈りを込めます。

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現在、奄美大島で未曽有の大雨被害に被災されておられる方々。
一日も早く。
以前の生活が取り戻せます様。
安らぎが帰って来ます様。

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6年前の今日、新潟県中越地震発生の2004年10月23日は同じ土曜日でした。

あの時感じた大自然の脅威の力に畏怖し、心して過ごしていきたいと考えています。
本震後の度重なる余震に悩まされながらも私自身を和ませてくれたのは、やはり模型飛行機でした。
不謹慎だと妻に言われながらも、近所のグランドでゴム動力機を飛ばしていました。
その飛行する姿を見て何度気持ちが救われたことか。

今日のフライトは、そうした模型飛行機への感謝を込めました。

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いつにも増して、上空へ飛んで行きました。

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そして今日も無事に地上へ帰って来ました。


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リフトの取り付けも始まっています。
この「地震の日」が過ぎると、季節は寒い冬へと向かい始めます。


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ここは私が毎日通勤で通る県道の、小千谷市と長岡市の境目くらいの妙見(みょうけん)という所です。


正面に切り立った山が見えます。

この山は、実は6年前にはありませんでした。


今から6年前の10月23日の土曜日、午後5時55分。


新潟県中越地震、発生。


その時、魚沼市の自宅へ帰る途中にここを通った幼い姉と弟と母親が、突然崩れてきたこの山と岩に車ごと飲み込まれました。



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こちらがもともとの県道。地震発生当時からほぼ手つかずのまま残されています。

道は山崩れで根こそぎえぐり取られ、瓦礫の中に消えたのです。



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この山崩れの中に生き埋めにされた親子。

救出の様子はTV中継され、東京都から出動してこられた「ハイパー・レスキュー隊」の方々によって、幼い弟(当時3歳)の命が救われました。


当日、たまたま私は仕事が非番であった為事なきを得ましたが、あの時間帯、もし出勤していれば私も間違いなくこの瓦礫に飲み込まれていました。



一方、先日御紹介した山古志村(現:長岡市)をはじめ、震源地である北魚沼郡川口町(同じく現:長岡市)も甚大な被害となりました。


震源地の川口町は、マグニチュード7・震度7の直下型地震を受けました。


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地震発生二週間後の川口町市街地。(当時HARIMAYA撮影)


国道17号線、関越自動車道などは道路の破壊や地割れ、トンネル崩落などにより全て遮断され川口町は「陸の孤島」となってしまいました。


水・電気・ガスなど、ライフ・ラインも全てカットされていました。

道路が破壊された為、流通が途絶え、食料も入ってきません。

赤ちゃんのミルクも底を尽きました。

上空をひっきりなしに飛ぶヘリコプターは、救援の為ではなく、マスコミの取材ヘリばかりでした。


住民の命が危ういくらいになったころ、ようやく一部の道路が開通をし、救援の為に陸上自衛隊の皆さんが入ってきました。

私自身も自分の看ている印刷機やコピー機がこの町に多く入っていた為、ここに行かなければなりませんでした。

しかし、正直行きたくはありませんでした。


怖かったのです。本当に、怖かった。


震度7の本震を受けた震源地。その後も毎時間のように震度5以上の強い余震が続いていました。

コピー機が設置してある農協は、崖の下を通る山道を通過しなければ行けませんでした。

いつ、何処が崩れてもおかしくは無い。

誰も、身の安全を保証してはくれない。

私だって命は惜しい。

家族だって居る。


町全体にきな臭い匂いが充満していました。

学校のグラウンドなど、広い場所は全て自衛隊より貸し出された深緑色のテントにおびただしく埋め尽くされ、あたかも焼け出された人々のごとく、そこに住民の皆さんが肩を寄せ合っていました。


「戦場」とは、こういう場所なのだろうか?

私は震え上がっていました。


背筋が寒くなる思いでコピー機の設置場所である山奥の農協、印刷機のある小学校に辿り着いた時、私は息を飲みました。

小学校の職員玄関脇の狭い用務員室に、乳飲み子を抱えたお母さんが家族と共に身を寄せ合っていたのです。

そこは、まさに震源地の真上でした。


涙が出ました。


この人達は「怖い」なんて言っていられない。

私のように、怖くても逃げる場所なんて、無い。


この人々を見たら、私も「怖い」なんて言えなくなりました。


それから私は、この川口町の学校や農協、高速のサービス・エリアを、余震の絶えないに関わらず車で廻り続けました。

日が進むにつれ、見慣れない県外ナンバーの給水車や、食料等物資を積んだ車、ボランティアの方々を乗せた車が次々とここに来てくれるようになりました。

朝・昼・晩と、役場前に張られた自衛隊キャンプや学校グランドでは、隊員皆さんや多くのボランティア皆さんからの炊き出しの温かいご飯が毎日人々に配られました。


多くの人々が家を失い、または家族を失った方もおられました。

学校は全て避難所となり、グランドはほとんど仮説住宅の建設場所となり、子供達は学校へもしばらく行けなくなりました。

勿論、仕事も再開などできませんでした。



しかし、最後までこの町に残り、耐えてきた人々。


あれから6年の月日が流れました。


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毎年10月23日が近づくと、越後川口の家々にはこんな黄色い布が表に張り出されます。



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よく我慢強いと言われる新潟県人ですが、この大地震は耐えきれるものではありませんでした。


それを耐えてこれたのは、全国の名も知らぬ多くの方々からの温かい励ましがあったからなのです。

ここ川口をはじめ、越後の人々はそれを今でも決して忘れてはいません。

この「黄色いハンカチ」は、そうした気持ちを越後川口の人々が表したものです。


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地震により家の下敷きになり亡くなった児童さんの命を思い、小学校の先生とともに私も泣いたことを思い出します。


でも、犠牲となられた方々の分まで強く生きて行こうと皆さんは決められました。


地震は誰のせいでもありません。

大自然が、地球が本性を少し見せただけなのかもしれません。

ですから、また何時、何処で起こるかわかりません。


しかし、このような災害を前にして如何に人は人として生きていけるか?試されているような気が私はします。

人の温かさとは、人生とは何だろう。

生きていけることに感謝すること。

そうした大事なことを考えさせられる気がします。


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今、私は数え切れない程の「ありがとう」と共に、ここにいます。




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