
かくして少年時代の私の夢は「レーサーになること」となった。
ニキ・ラウダには単にF1レーサーとしてだけでなく、困難に打ち勝った不屈の男として子供心に憧れた。
ラウダはTVアニメ「アローエンブレム・グランプリの鷹」、最近のTVドラマ「仁」の原作者でもある村上もとか先生が当時週間少年サンデーに連載していたF1レース漫画「赤いペガサス」の劇中にも出演。その不死鳥のごときヒストリーが披露されている。
しかし時が流れ、憧れや夢の対象も少しずつ変わってゆくと「不屈の男」ニキ・ラウダの存在も、私の記憶から消えていってしまっていた。
私が大人になり、首都圏から新潟へのUターン生活も落ち着いた2003年。私の体に異変が起こった。
仕事で車を運転中に急に手足の感覚がおかしくなり、更に息が苦しくなってきた。
私は危険を感じ、すぐさま車を路肩に止め、自分の携帯で救急車を呼び、近くの病院へ搬送させた。
父が脳梗塞で倒れていた為遺伝を疑い自らCTスキャンを嘆願、他に心電図とエコーもかけて貰った。しかし、それらの検査では全て異常発見は出来なかったので帰宅した。
ところが、またすぐに同様の発作が再発。私はその度に病院へ駆け込んだ。
医師も俄かには病名が特定出来なかった。
得体の知れない病の恐怖に私は怯えた。「死」さえ予感した。
怯えることにより更に発作はひどく、強く感じるようになった。
2つ目に私が怯えていたこと。
それは車を運転できなくなる恐怖。
車を運転しようとすると大抵発作が起こった。
私の職業であるサービスエンジニアは、多くの部品と工具を営業車に積んで移動しなければならない。
ハンドルを握れない…それは失業を意味していた。
失業してしまうと、家族は…
私は2つの恐怖に怯え、途方に暮れた。
どうにもなりそうになかった。
…そこへ、一人の人間の存在が記憶に蘇った。
彼の存在は私に語った。
「一刻も早くハンドルを握ること。それこそお前が生還する道だ」と。
その存在こそ、かつて少年のころの自分が憧れた不屈の男。
ニキ・ラウダだった。
そう、その時私は、障害の度合いに違いがあったとしても、まさにニュルブルクリンクでの大事故を受けた直後のラウダの状況と重なった。
そうと分かれば、当時の彼がそうしたように「漫然とベッドの上にいるわけにはいかなかった」!
〈次回最終回へ続く〉