当時並み居るF1ドライバーの中で「不死鳥」の異名を持っていたのが名門フェラーリのエース、ニキ・ラウダだった。
彼は最初にチャンピオンを取った翌年の1976年「1,000のコーナーを持つ」と云われる難コース・ニュルブルクリンク・サーキットで行われた西ドイツグランプリにおいて大事故に遭う。
無残に潰れたマシンに閉じ込められたまま1,000℃を超える炎に包まれ、命からがら救出されたラウダ。
しかし全身に及ぶ火傷と、マシンの材質の燃える際に発生した毒ガスが呼吸器官に入り込んだ為、彼は一時危篤状態に陥る。
その後一命はとりとめたものの、誰もがラウダのレース復帰は無理だと考えた。
しかし事故からたった五週間後のイタリア・グランプリ、モンツァ・サーキットにラウダはレーシングスーツに身を包んだ姿を見せた。
人々はそれを「狂気の沙汰」とも評した。
火傷の怪我も去ることながら、通常ラウダの遭ったような大事故に見舞われると人間は事故の恐怖感に蝕まれ、レースどころかハンドルを握ることさえ二度とできなくなるという。
しかし、ラウダはそのイタリアでの復帰戦を完走するだけでなく表彰台一歩手前の4位にまで入る快挙を成し遂げた。
更にそのレース後も着実にポイントを重ね、惜しくもチャンピオンこそ逃したものの、その年を年間ランキング二位という優秀な成績で締めくくった。
まさに文字通り身を炎で焼いて蘇る「不死鳥」。
F1がまだTV放映もしておらず認知度も低かった当時、私はこうした情報を近所の書店でモータースポーツ雑誌を立ち読みすることで得ていた。
雑誌の写真でラウダと対面した少年の私は、その深い火傷跡の奥にある彼の眼光の凄みに圧倒され、怯んだ。
しかし、それも一瞬。
私には彼の火傷跡が「困難を乗り越えてきた勲章」に見え、とても誇らしく見えた。
「ニキ・ラウダこそ真のチャンピオンだ!」
私は瞬く間に彼のファンになった。
1977年のことだった。