215澄んだ眼(2-1) | 左団扇のブログ

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  Ⅱ 世捨て人[1]  


『1011年にギヨーム・ド・ベレーム[2] が、ヴァレンヌ小川[3] から百メートルばかり上の、ドンフロンの岩山の上に築いた城塞[4] には、(おもむき)豊かに補強壁守られ、幾つかの大きなアーチ門貫通している、大きな二の壁主塔(ドンジョン)の残骸しか残っていない。その周りには城壁の跡や、地下道の痕跡が見られるが、全てきちんと完璧な状態で維持されている』


 これはガイドブックに記されている内容だ。どうしてそれらの本には、17世紀にアンジュー総督ピエール・ド・ドナデュー[5] が、その古い城塞の付属建築物の廃材を用いて、同じその場所に館を建てた事が言及されていないのだろう。この建物は魅力的でそっくりそのまま残っていて、バス=ノルマンディー地方[6] でロジ[7] と呼ばれるものがこれに当たる。それを取り囲む様に四本の細長い櫓が立っている。二本の堂々たる煙突を備えた巨大な屋根は、二列の煉瓦でさざ波の様な模様の付けられた、花崗岩で出来た建物の小さな正面には大き過ぎて、ロバ帽を[8] 冠っているみたいだ。中庭を通って中に入るが、最も大きな外壁は断崖を見下ろす位置にあり、急斜面はヴァル・デ・ロシェ[9] と呼ばれる、美しい渓谷を辿って流れる川[10] に向かって(くだ)っている


 今から14年前、地元の名家の一つの、ド・ラ・ヴォードレイ夫妻は投機に失敗して破産した。ド・ラ・ヴォードレイ氏は悲しみと恥辱が元で亡くなった。未亡人は十歳の息子の教育費をまかなう為に、彼女の家族がほぼ2世紀間所有していて、彼女が持参金として夫に与えた、この(ロジ)貸し出す事にした。最初は駐屯部隊将校が借り手となったが、現在は空き家となっていた……


 怪我をした哀れな動物の様なジルベルトが逃げ込んで来たのがここだった。彼女はこの眠った様な小さな町、勇気があった過去にうんざりし、敗北した町[11] の様相を呈し、眠った様子を正当でもっともなものにしている処が気に入った。遺跡の中を歩いていて、例のロジの入り口に「貸家」の看板を見付けた。彼女は家主女性に問い合わせてもらった。


 痩せて背が高く、やや険しい眼付きをしたド・ラ・ヴォードレイ夫人は、まるで一音一音が最高に完全な度合いに仕上げなければならない、価値のあるものの様に、全ての音節を口ではっきりと形作りながら、気取った文句で語った。


「あなたはやはり感動していらっしゃる様ですね、マダム、私の持ち家が完璧な状態である事は、あなたの御様子が私には確実な保証となっています」と、彼女はジルベルトに言った。「木造部分、窓ガラス、カーテン、家具、全てがつい最近出来たものの様です。それでも……。これは極め付きの歴史的な邸宅、ロジですわ……」


 ジルベルトはもう話を聞いてはいなかった。自分は「マダム」と呼ばれた。そう呼ばれる事は自然なのだろうか。年齢にも(かか)わらず既婚者だ思われているのだろうか。驚きだったしかしまた、こうも考えた若い娘が独りでこの借りに現れ独りで住む誰が考えたりするだろうか。


 ジルベルトは公証人の助言を思い出した。「もし静かに暮らしたいのであれば、私どもが過去をすっかり明らかにするまで、それを一切語らない事です」


 まあ、「マダム」と呼ばれてその過去を隠す方がずっと簡単かも知れないわね。この呼称でどんなにしっかりと身を守る事が出来るでしょう。未婚女性が、人と交際せずに暮らす事で、凡ゆる好奇心の対象、凡ゆる噂の餌食になっていた。既婚女性なら、もっともな状況であり、孤独な生活は誰の驚きにもならず、邪魔者を寄せ付けずに済み、自由に動き回る事も出来るし、閉じ籠って泣いても、涙の秘密を探られる事も無い。


「賃貸契約の名義はどうしますか」と、全てが纏まり、うまい具合に家賃を五割増額出来た後、ド・ラ・ヴォードレイ夫人が訊ねた。


「まあ、私の名前、アルマン夫人ですわ」と、ジルベルトが答えたが、この決定がどんな結果を招くか知る由も無かった。


 ド・ラ・ヴォードレイ夫人がためらった。


「ただ、もしかすると……、署名が……、必要かも知れません……、御主人様の……」


「私は未亡人です」


「ああ、失礼しました、お察しするべきでしたわ……、あなたの喪服[12] で……」


 その晩の内に、アルマン夫人はロジに身を落ち着けた。


 ド・ラ・ヴォードレイ夫人の一方(ひとかた)ならぬ忠告従って遺跡の管理人の妻アデルを召使いに決めた。陰険な眼に、ぶっきらぼうな態度の、口髭の生えた、おしゃべり好きの太った女だ。夫のブクトーも館に寝泊まりする事になった。兵役から戻った、彼等の息子のアントワーヌが重労働をこなし、庭師の務めをする事になった[13]
 

      


 そして、生活が始まった。この世に愛する者のいない、そして愛してくれる者もいない人の、辛く、残酷で、絶望的な生活が。


 母の死後、ジルベルトに取って慰めとなるものは何一つ無かった。彼女を守ったものは、行動する事の必要性、それも、休み無く行動し、決断を下し、命令する必要性、要するに、強い意志を持つ事だった。


 夢見がちで投げやりな性格と云う悪い癖を振り払い、それまでの生き方が好んで来た、受動的な習慣を断ち切らなければならない。


 彼女が自分の務めを理解するまで、館では全てがひどくまずい具合であり、召使いがする仕事はひどく無秩序で、混乱と騒ぎばかりが多く、ジルベルトは家事の細々とした事に気を配る必要があった。


 初めて叱責をしなくてはならなかった時の、彼女の困惑は如何ばかりだったか。


「アデル、昼食の時間をもっときちんと守って戴けると助かるわ」


 そして、直ぐにこう付け加えた。


「勿論、可能な限りですよ」


 三日間連続で、運命はそれが可能じゃないと多分判断したのだろう、ジルベルトは厳しく行く決意をしなければならなかった。四日目、台所に降りて行ったが、途中で憤りを失ってしまわない様に、大急ぎで向かった。


「どうしたの、アデル、もう一時だって云うのに……」


「へえっ、それで」と、太った女性が話を遮った。


 ジルベルトは急に話を中断し、躊躇し、顔を赤らめ、口籠もりながら言った。


「きちんとした時間に昼食が食べたいのだけど」


 それ以来食事は三度三度時間通りに供される様になった。


 この勝利に自信を得た。毎日、家計簿を持って来させたが、チェックするのは物の価格を確かめる事と、計算が間違っていないか検算する事に限られていた。



[1]  ここではジルベルトの事だが、ドンフロンには6世紀にフロン・ド・パッセと云うキリスト教伝道師が隠遁生活を送っていた。ドンフロンと云う地名は彼の名前に由来する。作者がヒロインと彼とを結び付けているのかどうかは分からない。

[2]  (960〜970頃 – 1027〜1035頃。ノルマンディー公リシャール一世(933 − 996)の承認を受け、アランソンとドンフロンとに築城した。

[3]  全長39キロ。

[4]  ドンフロン城(シャトー・ド・ドンフロン)と呼ばれるもので、1875年に国家の歴史的記念物に指定されている。




 

[5]  Pierre de Donnadieu不詳。おそらく、この館もこの人物も架空の存在だろう。

[6]  カルバドス県、マンシュ県、オルヌ県からなる地域名。中心都市はカルバドス県の県庁所在地カーン。

[7]  logis)住居や宿舎を意味する古めかしい言葉で、王侯のお供の者達の宿舎の意味でもあった。現代でも、フランスにはlogis hôtelと呼ばれる、小規模経営のホテルがあり、また、レストランでもロジと呼ばれるものもある。

[8]  ロバの耳をかたどったものが付いた帽子で、罰を受けた生徒が冠された。これが元になって、人の頭の背後でVサインをして、からかったり侮蔑したりする。

[9]  岩の谷」の意。ヴァレンヌ川の渓谷の事を地元でこう呼ぶ。

[10]  ヴァレンヌ川。

[11]  ドンフロンは百年戦争の時にはイギリス軍に、16世紀の宗教戦争ではプロテスタントの軍勢に占領された。

[12]  母親の服喪期間なので、喪服や黒いヴェールを身に着けている。

[13]  et serait jardinier)改作の「若い娘の物語」では、「庭の手入れをする事になった」(et s’occuperait du jardin)となっている。