LF1『雄鶏と錨』亭39-1 | 左団扇のブログ

左団扇のブログ

ブログの説明を入力します。

    第三十九章


  取引、そして新しい共謀者


 やっと夕方になった。年()りた土地を闇が覆い尽くし、約束の時刻が近づくにつれ、アシュウッドは次第に興奮し出した。

「出来るものなら」と、彼は思った。「連中の(たくら)みの本質を見抜く為に、全能力を一心に集中させなければならない。間違い無くブラーデンとチャンシーは既に何か他のとんでもない(だく)みを企ててはいたが、更に悪い事が私に降りかかるのだろうか。奴等の最悪な敵意の望むままに僕は完全に罠にかかっている。七時になった。あと一時間で、僕の疑念はすっかり晴れるだろう。さあ、行くんだ、お前と、上ずる声で続けた。そして、部屋に入って来た召使いに向かってはこう言った。「八時に特別な用事で紳士が訪れる事になっている。到着したら真っ直ぐこの部屋にお通ししなさい」

 そして彼は再び、陰鬱で興奮をさせられる、同じ考え事の連続に戻った。

 チャンシーとその連れは、惨めな主人が言葉に表せない精神的苦痛を味わいつつ、部屋の壁から壁まで行ったり来たりしている間、二人共暖炉の前に心地好く座り、静かにパイプを吸って楽しんでいた。



 やがて退屈な時間が過ぎ、約束の時間から数分しない内に、ニコラス・ブラーデンが召使いに依って通され、アシュウッドがその到着を待っていた部屋に案内された。



「やあ、ヘンリー卿」と、肩で風を切る様に部屋に入って来ながら、ブラーデンが叫んだ。「未だ些かあたふたしている様子だね。私の友人達と一緒でとんでもなく快適だったかな」



 この来訪者は椅子に身を投げ、話を続けた。



「聖パウロにかけて誓うが、あんたの所の忌々しく薄暗い並木道を馬で通りながら、俺は十中八九あんたが既に喉に剃刀を宛てがっていると思ったよ。あんたの様な状況に置かれた男達がそうする[1] のを見知って来た……、勿論、俺が言っているのは、立派な友人がいて優雅な習慣があり、醜聞の暴露やら何やらに耐え切れない、紳士達の事だがね。グライムズ、君は部屋から出て行っても構わない。だが、呼んだら直ぐ来られる所にいてくれ、いいかい。チャンシーと俺は、友人のヘンリー卿と内密の話がしたい。さあ、出て行って、俺が名前を呼んだら、鉄砲玉の様に飛び込んで来るんだぞ」



 グライムズは返事をせずに立ち上がり、ぶらぶら歩いて退室した。



「チャンシー、ドアを閉めろ」と、ブラーデンが続けた。「ぴったり閉めるんだ、太鼓の皮の様にぴったりとな、そしてまた、そこに腰を下ろせ。それでは、ヘンリー卿、用件に取り掛かっても構わないのだが、先ずは、腰掛けてもらいましょう。あんたが座る事に、何の異論も無いから、遠慮せずに」



 ヘンリー・アシュウッド卿が確かに着席すると、この秘密の会合の三人のメンバーは、それぞれ非常に異なった感情を持ちつつ、椅子をテーブルに引き寄せた。



「勿論」と、ブラーデンが片肘をテーブルに突き、手に顎を乗せ、悪意ある視線を若者に向けながら言った。「勿論、当然の話だが、あんたの身柄を他の場所、すなわち、ムショ送りにする代わりに、何故俺があんたをこの家にじっと居続けさせたか、一日中お前は頭を悩ませていた事だろう」



 聞き手の記憶に自分の前置きをしっかり刻もうとするかの様に、ここでブラーデンは一息入れ、再び話を続けた。



「そしてまた、お前が明日、死刑執行人に吊るされようが、医者に切り刻まれようが、この俺が気に掛けると思う程、あんたはおめでたくないのも当たり前だ」


 ここで彼はまた一息入れた。



「ふむ、それなら、この件をこんな風に放置しておくのは、果たすべき何らかの目的が俺にはあると、お前が考えているのかも知れない。そして、何とその通りなのだ。今まで正しく考えた事が無かったにせよ、今度ばかりはお前の考えは正しい。俺には目論見があり、その成否はお前さん次第だ。反対するかね」


「どうぞ、どうぞ、どうぞ」と、アシュウッドふさぎ込んで繰り返した。



「何てせっかちなんだ」と、ブラーデンが嘲る様にくつくつと笑いながら述べた。「だが、悩むには及ばん。あんたには十分時間がある。今俺はあんたの為にすごい事をするつもりだ……、嫌かね。先ずは、お前の生命並びにお前の性格を、そのままお前に与えるつもりでいる。そして、更に、お前を借金の為に刑務所に送らせはしない。破滅させはしないんだ。何故ならニッキー・ブラーデンは中途半端な真似はしない男だからだ。俺の話を聞いているか」



「うん、うん」と、アシュウッドがかすかな声で言った。「だが、条件は……、その点に就いて話をしよう……、条件だ」



「ふむ、そうしよう。要求を語るとしようか」と、ブラーデンが言い返した。「俺がこれっぽっちでも金を欲しがっている訳ではないと、改めて言う必要はないだろう。ともかく、俺は金持ちだ、お前も知っての通りに。まあ、どうして俺がもう少し落ち着いた、行儀良い暮らしをして来なかったのかと思うかも知れない。要するにだ、若気の道楽をしたりせず、結婚して身を固めたり、社会のお手本の様な存在になったりしなかったのはどうしてかって事だ。まあ、俺にしたってそれは不思議だ、とりわけ、俺の様な女性賛美者がな。そして、それは残念な事だとも思っているから、俺は心を入れ替えて、良いかい、時間を無駄にせずに妻を迎えようと決めたのだ。相手の女性には家族がいなければならない、何故なら俺はそれが欲しいからだ。そして、彼女は美しさを(そな)えていなければならない、何故なら俺はれら家族と持たない妻と結婚したくないからだ。金銭は求めないどう使ったら良いか分からない位の財産がある。家族とこそ必要ものだそして、俺は心の中で事を決めた自分が望む相手ぴったりの相手は、お前のだと云う……可愛く明るい眼をしたメアリー……スポーツ好きのモリー[2] だ。彼女と結婚したいし、そうするつもりだ……、これがこの取引の要点だ」



「お前が……、お前が妹と結婚するだと」と、アシュウッドが叫び、相手の傲慢な視線に対し、言葉に出来ぬ程の軽蔑及び驚嘆の表情で応えた。


「ああ、俺が、この俺がな……、ニコラス・ブラーデン様には、人が三度生きても数え切れない程の財産がある」と、挑む様なしかめっ面で視線を返しながら、ブラーデンが言い放った。「破産し、貧乏になった放蕩者……、見下げ果てた偽造犯、今この瞬間にも法廷の被告人席に片足を入れている男、そいつの妹と結婚してやろうと云うのだ。ひざまずいて俺の寛大さに感謝しろ……、さあ、早く」



[1]  喉を描き切って自殺する事。

[2]  モリー(Molly)はメアリーの愛称。