LF1『雄鶏と錨』亭20-2 | 左団扇のブログ

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「アシュウッドさん、お久し振りです」と、相手を惹き付けようと精一杯の愛想笑いを浮かべ、その貴族が叫んだ。「愛と恩恵のどんな使命で行動されているのでしょう。その最初の慈悲の行為が最も献身的な奴隷の為に行われます様に。リチャード卿のイチイの生垣や鉛の彫像を案内してくれる方を探していたのですが、見付からずじまいでした。我が大天使があなたをその役目に送ってくれたのだと思って構いませんでしょうか」


 アスペンリー卿は間を置き、より一層の笑みを浮かべたが、返事が無いので、また話を続けた。


「 アシュウッドさん、この周りの庭園には、あなたの繊細な趣味の実例がふんだんにあると理解しています。図々しい申し出でなければ、フローラ[1] の信奉者としてお願いしたいのですが、途方に暮れた巡礼者を捜索の目的地まで導いて下さらないでしょうか。この野趣ある迷宮の中心には、あなたの想像的才能のお蔭である甘美な存在の、小さな花園があるのでは御座いませんかな。もしそんなに遠くなく、たっぷりとお時間があるのでしたら、御案内願う事をお許し下さい」


 こんな風に語りながら、小柄な紳士は仰々しくも上品に片手を差し伸ばし、相手の手を丁重にその指先で摑み、彼が思うに彼女が抵抗出来ない風にして前方に導いた。メアリー・アシュウッドは心に重くのしかかる絶える事の無い悲しみ以外には、ほとんど何にも関心が無く、この気取り屋老人の些細な要望を断る気にもならなかった。そこで、優美な四肢を短いマントで覆い、頭には頭巾(フード)を冠り、古風な遊歩道を痛む心でゆっくりと歩み出した。


「何と云う美しさ」と、彼女の脇を恋する者の慇懃な物腰で進み、道の縁を飾る草花をちらちら見ながら、貴族が叫んだ。「この様な地点以上に美が大いなる真価を発揮する場所は他にありません。ここには自然が無生物の中で最も美しいものを全て集めていますが、それに拠って、生物の美しさの魅力が言葉に表せない程に素晴らしいものである事が明らかになっています。この瞬間を除いては、これらの遊歩道は私に取って荒涼とした場所ですが、今は魔法の様な楽しみの非常に沢山の小道と化していて、この変貌を果たしてくれた親切な魔女[2] に、私はどれだけ感謝すれば足りるでしょうか」。ここで小柄な紳士は言葉にならない感謝の気持ちを眼で示し、数分沈黙を保ったが、その間、彼は十数回ひどくゼイゼイと(あえ)いで息を吐いていた。アシュウッド嬢が黙りこくっているのを、意識的な優しさの揺るぎない証拠だと解釈し、勇気付けられた卿は、愛の攻撃の口火を切った小競り合いに終止符を打ち、率直な真剣さで軍事(、、)行動を開始しようと心に決めた。「この場所には騎士物語(ロマンス)の雰囲気が漂っています。愛の崇拝の為に神聖化された場所です。これは……、これはまさに、情熱の神殿です、そして私は……、この私は信奉者……、崇拝者です」


 アシュウッド嬢は驚きと不快感とが錯綜した思いで立ち止まった。それ程までに、相手の熱烈さが度を越していて、彼の喘息と相俟って、卿を直ぐにでも窒息させんばかりになっていた。メアリー・アシュウッドが不意に足を止めた時、アスペンリー卿はそれを大事な場面が到来し、いよいよ突撃の瞬間だと勘違いし、有頂天のしわがれ声で絶叫した。


「そしてあなたは……、あなたは私の女神です」。そう言いながら、彼は体を強張らせて両膝を地面に着き、メアリーの片手を取って、(まご)う事無い愛着を見せながら唇を押し当てた。


「閣下……、アスペンリー卿……、あなたの様な御身分の方がそんな事をなさってはいけませんわ……、お辞め下さい、閣下」と、相手の手から憤慨して自分の手を引き抜きながら、びっくりした娘が叫んだ。「お立ち下さい、閣下。私をからかうのでなければ、こんな無節操な真似はなさらないでしょう。閣下……、閣下、余りに驚きと衝撃を受けて、言葉になりませんわ」


「美の天使よ、この上ない程に美しく……、最も完璧な女性」と、卿が喘いで言った。「あなたを愛しています……、ええ、気も狂わんばかりにです。答えて下さい、もし私があなたの足元で息絶えるのを望まないのでしたら……、ゴホン……、ゴホン……、どうかおっしゃって下さい……、希望を持っても構わないと……、ゴホン……、あなたに取って私はどうでも好い存在では無いと……、ゴホン、ゴホン、ゴホン……、ええと……、私を愛してくれる可能性はありますか」。ここで卿は余りに激しい咳の発作に襲われてしまい、アシュウッド嬢は彼が冗談じゃなくて本当に、彼女の足元で息絶えてしまうのではと、怖れを抱き始めた。発作の間、卿は片方の手で脇腹を押さえ、残りの手を地面に着けて体を傾けていたが、その合間にメアリーは考えを纏める時間がたっぷりあり、やっと卿が呼吸を取り戻した時に、落ち着きと決意を持って彼に話しかけた。


「閣下、私を()いて下さって感謝しています」と、彼女が言った。「けれども、あなたと知り合ってから間も無い事や、あなたが私を知る機会が余りに少なかった事を思いますと、その激しさには驚きを禁じ得ません。私に対して、閣下漠然とした恋心以上のものを抱かれるはずがありませんが、間違い無く、それは来た時と同じ位にあっさりと消えて失くなるものです。私の気持ちに関してはこう申し上げる事しか出来ません閣下が御期待される様な興味はそこに全く生じ得ないと。でも、でも、閣下、あなたに苦痛を与えていないと好いのですが……、私の望みはそんな事からずっとかけ離れています。けれど、自分の本当の気持ちを直ぐにはっきり伝えるのが私の務めです。そうしなくては、あなたの親切をもてあそぶ事になってしまいます。御要望にお応えする事は出来ませんが、私は感謝し続けるつもりです」


 この様に述べると、メアリーは高貴な求婚者に背中を向け、家に向かってそそくさと引き返した。


「待った、アシュウッドさん……、もうしばらくここにいて下さい……、あなたは私の言葉を聞くべきです」と、アスペンリー卿が叫んだが、余りに声が変わっていたので、メアリーも思わず足を止めてしまい、その間に、卿はやっとの思いで立ち上がり、普段の笑顔のぞっとする幻影が未だ漂う、紅潮したやつれ(、、、)顔をして、よろよろと彼女の傍に近付いた。「アシュウッドさん」と、彼は愛情とはかけ離れた感情に震える声で叫んだ。「私……、私……、私はそんな尊大な態度で扱われるのに馴れていません……、私……、私は我慢がなりません。粗末な扱いをされたり、女性にふられたりするつもりはありませんよ……、お嬢さん、ふられたり、たぶらかされたりは御免です。これまであなたは私の心遣いを受け入れその気にさせて来ました……あなた間違うはずの無い心遣いですところが今あなたは、私が求婚しようとすると……それはあなたの念願あなたの最も僭越な念願でも予測していなかった様な……私の結婚の申し出……そして……宝冠(コロネット)[3] ですが、私の事を気に掛けていないとあなたは事も無げにおっしゃった。一体何を求め、何を期待しているのですか……、外国の王子か有力者ですか、皇帝ですか、ハッハッハ……、ヒヒー……、ゴホン、ゴホン、ゴホン。率直に申しましょう、アシュウッドさん、私の気持ちを考慮して戴かねばなりません。私はこれまで長らく自分の情熱をあなたに知らしめていて、それはずっと後押しを得られて来ました。リチャード卿の……、あなたの父上の支持や認可も得ています。あなたは先におっしゃった事を考え直した方が宜しいでしょう。一時間差し上げますので、それが過ぎましたら、後押しと呼ぶのをお許し願いたいですが、私が求愛するのをあなたが事実上長らく承認し後押ししくれていたのに、感情を率直に表明する私の礼節をあなたが理解しないのでしたら、私は自分自身の不当な扱いの痛ましい詳細を含め、この一件全てをリチャード・アシュウッド卿の前に持ち出し、あなたが理性的に、そしてこう付け加えましょう、私の名誉に値する、振る舞いをなさって下さる様、リチャード卿の説得力に委ねる事にします」


 ここで卿はかなり大量の嗅ぎ煙草を何度かつまんで吸った後、うんと頭を屈めてお辞儀をし、悪意と怒りと勝利とが激しく入り混じった、尋常で無い程にぞっとする笑みを浮かべ、驚いた娘が返答するだけの十分な気力を奮い立たせる前に、足を引きずりつつ立ち去った。



[1]  ローマ神話の花・春・豊穣の女神。英語のflowerと同語源。

[2]  enchantress(魔女)には「魅力的な女性」の意味もある。

[3]  王族や貴族の象徴。アシュウッド家は准男爵で、世襲ではあるが貴族ではない。