愛車遍歴パート1…ブリヂストン ユーラシア | 泉ケ岳のサイクルベース アルカンシェル キャンパパ店長の自転車日記

泉ケ岳のサイクルベース アルカンシェル キャンパパ店長の自転車日記

元プロレーサーのキャンパパが泉ケ岳の麓にオープンした 杜のカフェ ノエル カフェに併設された自転車工房 アルカンシェルは 泉ケ岳のローディーたちの憩いの場になればと思います。休憩、食事はもちろん、マシンのメンテナンス、委託販売などもおこなってます。

キャンパパ店長の自転車遍歴、ホントの最初の自転車は父がどこからか貰ってきた26インチの普通鉱フレーム、幸い物置きに父の工具があり、大体の作業は問題なくこなせたのですが、何せ初めて自転車を組んだのは小学5年生の頃👦 兄が自転車好きで参考になる雑誌(サイクルスポーツ誌)があったり、兄が外したパーツなどがいっぱいあったので、ハンドルを鉄ドロップに変えたりフレームを塗り替えたりして遊んでました。そのうち兄に「友だち数人と芦ノ湖に一泊で行くのでお前も来るか?」と誘われ(当時、神奈川の座間市に住んでました)、何もわからないまま箱根峠を登らされました。(画像は実家のアルバム📘に残っていたような…)


めちゃめちゃキツかったのですが、何故か翌週、夜明け前に家を出て1人でまた芦ノ湖を目指してました。兄に「嘘つけ❗️」と言われそうで、芦ノ湖の観光ペナントを買って帰った記憶があります。


中学時代は父の実家の南相馬(当時は原町市)で過ごしました。自転車は通学用のママチャリと、兄のお下がりのBSダイヤモンドDT6110とおランドナーのマッドガードを外してロードバイク気取りで乗り回していました。その頃兄は自転車競技部でインターハイ、国体に出場、3年生の夏には競輪学校(現在の競輪選手養成所)試験に合格、高校を中退してプロになりました。

キャンパパ店長はと言うと、部活は吹奏楽部、運動はまるでダメ、朝礼はすぐ倒れてしまうので、保健の先生と列外で座ってました(笑)

部活ではトランペット担当、2年、3年の福島県吹奏楽コンクールで金賞🥇自衛隊音楽部かNHK交響楽団かなどと夢を見てました


実際には「このままじゃ社会に出てもまともに生きて行けない!カラダを鍛えなきゃ」と考え始めて、野球やサッカーでは経験者と差があるだろうな〜⤵️スタートラインが同じと言うとラグビー?登山?兄のやっていた自転車?などとぼんやり思いを巡らすうちに進路を決める時期になり、片道2時間半の通学を覚悟して、仙台の東北高校に進学、自転車競技を始めました。


ところが「スタートラインが同じ」なんて全く的外れ🎯、同級生には経験者、サッカーからの転向、極真空手、柔道部、陸上部出身なんて連中ばっかり、腕立て伏せ2回が精いっぱいのキャンパパ店長は思いっきり落ちこぼれてんおまけに兄がいじめた❌指導した⭕️こうはいが2年、3年になり、「クマの弟」と言うことで、とにかくキツく当たられる毎日、でも不思議と辞める選択肢はありませんでした。今もそうですけど「勝ちたい」「負けたくない」「悔しい」と言う感情はほとんどなく、周りに追いつくため、少しでも長く、一回でも多くを念頭にペダルをこぎ続ける毎日、気がつくとサッカー出身の次期エースに次ぐ二番手(エースには100回やっていちども勝てませんでしたσ(^_^;)

それが本番の県総体ではまさかの優勝🏆


東北大会では2.3年生を相手に3位🥉

続く国体宮城県予選では2年3年を押し退けて優勝🏆強化選手に選ばれました

相変わらず闘争心とか気迫とは無縁のキャンパパ店長でしたが、この頃から

1.目標設定、

2.中間ポイント

3.逆算していついつまでに何と何を達成

と言うプランニングを誰に言われた訳でもなくやってました。


逆に計画したことが果たせない、行なう回数がこなせない、始める時間に始められないと言ったイレギュラーを極端に嫌う、予定変更大嫌い、臨機応変許せない性格が築かれちゃいました。

これは今でもこころのど真ん中にあり、直そうとしても(⁉️)どうにもならない、困った一面です。(PART2に続く〜)