2026年は植物にとっては、適度に晴れて適度に雨が降っているせいか、ものすごく植物の成長が早い感じがします。私の住んでいるところ近辺は、大方、藤も見頃をすぎちゃいましたが、藤沢市の白旗神社は見頃でした。撮影日は特に注がないものは2026年4月26日に撮影しています。

 

メモ関連サイト

右矢印相州藤沢 白旗神社 - 源義経公をおまつりする、武芸・芸能・学問のごりやくある白旗神社へようこそ

 

 

「白旗」交差点 かながわ信用金庫側に鳥居が見えます。

 

カメラ白旗神社

端午の節句に向けて鯉のぼりがたくさんが掲揚されていました。神社のサイトを見ると4月26日から掲揚が始まったそうです。

 

 

 

 

 

こちらの狛犬さん、よく見ると【吽】のほうは角があるんですね。北野天満宮も、【吽】の狛犬だけに角があるんですが、何かいわれがあるのでしょうか。

 

 

カメラ白旗神社の縁起。

 

カメラ義経公没後810年目 平成11年6月13日に建立された鎮霊碑

 

カメラ天保6年(1835)12月に再建された現在の社殿

 

 

 

カメラ弁慶の力石

 

 

カメラ義経藤

 

 

 

 

 

カメラ弁慶藤

4月16日に満開だったそうですが、だいぶ緑が目立っていました。

 

 

 

 

この翌日の雨で弁慶藤は散ってしまったようですが、義経の白藤はまだ咲いているそうです。

 

この後向かったのは、義経の首を洗ったとされる伝義経首洗井戸です。

 

 

神奈川県神社庁に興味深いお話があったので、抜粋します。

「頼朝は和田義盛、梶原景時に首実検をさせましたが、たとえ兄弟の間が不和であったためにせよ、余りにも滲めなその姿に、見る者皆袖をぬらさない者はありませんでした。首はそのまゝ河原へ取り捨てられたのですが、不思議にも金色の亀にすくいあげられ、背に乗せて境川を藤沢宿の河辺に運びこまれ「われは不幸にして悪人の舌頭にかゝって高館の露と消えたが、その首さえ捨てられて怨魂やる方なし。汝等よく葬りくれよ」と告げたので、里人は大いに驚きその首を洗って丁重に弔いました。これが現在の首洗井と首塚であると伝えられます。一方鎌倉の御所では、義経の怨霊に苦しめられ、頼朝は藤原次郎清親に命じ、首塚から1町ほど北の亀の子山に社を建てゝ義経の霊を祀らせました。これが即ち、白旗神社の起りであります。」

出展:白旗神社 - 神奈川県神社庁

 

左:源義経史跡 藤澤市

右:九郎尊神

 

 

「武蔵坊辨慶公之霊 九郎判官 源義經公之首塚」碑。
亀井坊 伊勢坊          
片岡坊 駿河坊 各霊」

 

 

次に向かったのは弁慶塚です。

 

 

済美館の向かって左側の道を道なりにいくと、このような印があります。

 

 

八王子社というお社の跡地だそうです。

 

庚申塔 - Wikipediaがたくさんありました。江戸時代から明治時代に向けて多く作られたそうです。そして、わかりにくいですが、「慶」「塚」の文字を確認できました。

 

昨年と違って、なんか空気がピリピリしている感が…。この後、鶴岡八幡宮に行って組み合わせが悪かったのか、足が腫れまして、階段も降りるのもおぼつかない感じでした。同じ距離を地元で歩いてもそんなことにはならないので不思議です。

 

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昭和と聞いて思い浮かぶのは?

→手塚治虫氏、石ノ森章太郎氏、松本零士氏といった往年の漫画家の方々。「プロの兵士による戦争」というよりも「民間人虐殺」の中、あの世とこの世の境が紙一重だった時代を生き抜いて、祖先や書籍からの情報をもとに漫画で時代のありようを伝えてくれました。

 

感慨深いのは石ノ森章太郎氏の「佐武と市捕り物控え」。

これは鯉のぼりのいわれを紹介しているシーンです。

 

 

 

 

 

 

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