7月~9月はほぼ毎週イベントに行っていたので、10月は家のこと中心の予定になっています。でも、3連休ですからね、予約している美術館の予定はこなさないとですね。
今回、おじゃましたのは、東京国立近代美術館で開催されている、「生誕120年 棟方志功展」です。
オフィシャルサイト
東京国立近代美術館
撮影日:2023年10月8日
撮影日:2023年10月8日
撮影日:2023年10月8日
館内は写真撮影OKとなっています。
プロローグ 出発地 青森
1903年9月5日、青森県に誕生し、小学校から「セカイイチ」が口癖だったそう。友人、小野忠明から渡された雑誌「白樺」に掲載されていたゴッホの「向日葵」を見て、画家を志すようになります。
雑誌「白樺」第12巻第2号 1921年
1924年 画家になることを目指し上京。帝選の入選を目指しますが、落選続き。1928年 油絵「雑園」で入選
第1章 東京の青森人
雑園習作 1982年 棟方志功記念館
5回目の挑戦で第9回帝選にて入選したそうです。青森県の知人宅の庭を想像して書いたものだそうですが、入選作は現存が確認されていないそうです。
八甲田山麓図 1924年 青森県立美術館蔵
雪国風景図 1924年 青森県立美術館
まったく独学だったそうですが、ゴッホ、セザンヌなどポスト印象派の画風を研究しているのが見えるそうです。
1928年まで続く落選の中、川上澄夫の版画を見て、版画に道を定めたころの作品
星座の花嫁 1931年摺 南砺市福光美術館
十和田湖 奥入瀬C 1932年 棟方志功記念館
思い立ってからたった6年で下のような大作。
天才といわずして、なんとしましょう。
東北経鬼門譜 1937年日本民藝館(右)
青森の詩人である福士幸次郎が語った東北の飢饉の悲惨な有様を聞いて作られた佐藤一英の詩「鬼門-ある巫女の呪文」をテーマとした作品。仏の力を借りて、故郷の土地の受けた宿命を幸せにしたいという願いを込めて制作。
東北経鬼門譜 1937年日本民藝館(中)
東北経鬼門譜 1937年日本民藝館(左)
左右の屏風の中央に鬼門仏を置き<※(中)の真ん中>、仏が自分の身を割って衆生を救う姿を現しているのでだそうです。
茶韻十二ヶ月板画柵 十二月「基督の柵」
1956年 日本民藝館蔵
幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風 1953年 五島美術館
キリストの十二使徒を描いたものだそうです。
門舞男女神人頒 1941年 個人蔵
チラシにあるのは左端の「木花之佐久也妃」
展示風景 とにかく大きい~。
灼員大聖天不動明王尊像 1942年 個人蔵
ご実家が刀鍛冶職人だったそうです。鍛冶屋には必ず不動妙王が飾ってあったそうで、その不動明王がモデルになっているそうです。
二菩薩釈迦十大弟子 1939年
ベニスのヴィエンナーレ国際版画部門で大賞受賞作品
戦争で版木が燃えてしまったそうで、両側の普賢菩薩、文殊菩薩を再度掘りなおしたのだそうです。
版木 表面「富楼那」/裏面 須菩提
左側の「富楼那」
第二章 暮らし・信仰・風土(富山 福光)
戦争が激化する中、氏は妻の実家のある富山に作品とともに疎開したそうです。しかし、1945年5月の大空襲で自宅にあった版木は燃えてしまったそうです。
法林経經水焰巻 1945年 個人蔵
これは、疎開先の福光駅から自宅までの2.5Kmの道のりを描いたものだそうです。当時の福光の町並み、この地の親交を深めた人々の姿が詳細に書き込まれているそうです。
河のアーチを3つ超えたところに描き込まれた郵便ポスト。傘をさして歩く眼鏡をかけている人はご自身だそうです。
華厳松 1944年 光徳寺
「棟方はある日、光徳寺裏にある躑躅(つつじ)の咲き乱れる山から強いインスピレーションをうけて、3日がかりですった墨を細い筆3、4本を束ねたものに含ませ、互い違いにして雫を落としながら、集まってきた大勢の観衆と近所の門信徒たちが見守るなか、6枚の襖に一気に荘厳な巨松を描いた。」
出典:水と匠
そして、上の華厳松の裏がこちらです。
稲電・牡丹・芍薬図 1944年 光徳寺
道祖土頒 1945年日本民藝館
版木はとても貴重だったため、極力掘らないで摺ったのが上記の板画だそうです。また、版木の木目をそのまま生かした形になっているそうです。
絣の柵 棟方志功記念館
真ん中が「絣の柵」です。
第三章 東京/青森の国際人
谷崎歌々板画柵
「鍵」板画柵
谷崎潤一郎の「鍵」の挿絵でした。
弁財天妃の柵
華狩頒
弓をひくポーズをしていますが、 何も手にしていません。ここでは、鳥や獣を弓で狩るのではなく、 心で花を狩る様子を描 くことで 平和の祈を込こめたのだそうです。
亀井堂本舗、日の出屋製菓 勝烈庵の包装紙
勝烈庵に行ってみなくちゃ。
ホイットマン詩集抜粋の柵 1959年
戦後、アメリカにわたって9か月過ごしたときに作られた板画です。アルファベットの版画は慣れていなかったそうで、Sが左右反転になっています。また、SOULSのSが抜けていたそうで、Sを追記していますが、それも左右反転。ミスでさえも、芸術にしてしまう師の技量
飛神の柵 1968年 棟方志功記念館
青森や岩手など東北に伝わる民話伝承をもとにした作品だそうです。
「昔々ある長者の家に栴檀栗毛(せんだんくりげ)という名馬が飼われていた。ところが、この名馬が長者のお姫様様を好きになってしまった。長者は怒り狂い、その名馬を殺して皮を剥ぎ取った。不憫に思った姫が、名馬の供養に行くと干されていた馬の皮は姫をつつみ天高く舞い上がってしまった。
それから1年後、天から白い虫っこが降ってきて、桑の葉に止まってその葉を食べた。長者はその白い虫を姫と名馬の生まれ変わりだと思って大切に育てた。
白い虫は蚕(カイコ)で
「おしら様」は、養蚕の神様として伝えられている
おしら様は養蚕の神様として家内安全や家運長久を祈る神様として家々で祀られた。」
出典:美の巨人
この棟方志功の版画『飛神の柵』は二人が昇天したところを描いているのだそうです。上にいるのがお姫様で下にいるのが名馬の姿を借りた神(おしら様)とだそうです。
青森 凧絵(1971年)とゆかたのデザイン
花矢の柵
青森県庁に依頼されて製作されたものだそうです。
右上には八咫烏で表現される太陽
左下は兎で表現される月
大印度の花の柵 1972年 青森県立美術館
ゴッホの向日葵を想起させる構図に、花瓶には自画像です。
氏の眼鏡
双眼鏡
愛用のオリンパスぺんとモノクロ写真
横には氏が撮影した写真もあります。どんな風に世界を見ていたのかを想像する2枚です。
どんな世界が氏の中にあったのかを思います。時間や空間を超えて自然の中に宿る神のようなものを感じます。もし、思い出にDNAがあるのなら、祖先もこの世界を見てきたのではないかと思うようなそんな絵の数々です。
作品が大きいので、余すところなく見たい方は平日に行かれることをおすすめします。また、2023年10月15日20時にEテレ日曜美術館で再放送があるので、録画しようと思います。
それにしてもだいたい美術展の滞在時間は1.5時間なんですが、大作ばかりなので、2時間あまりかかりました。
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