【モブログ】#三渓園 での #盂蘭盆会 | いろいろといろ

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 台風が6号、7号と日本列島に風雨とともに襲来。足や目の障害を持って以降、遠出は慎重になっています。東海道が止まるのは、夏は静岡の掛川あたりの豪雨、冬は関ケ原あたりの豪雪なんですよね。飛行機は風が強いとアウト。

 

 海外からの旅行者の方も、空港で足止めになっているようです。無事に帰れますように。今までは日本人のことだけを考えていたけれど、海外からの旅行者の件はあまり考えてないような岸田政権の対応に絶望中…絶望。話題の中古車販売・買取会社のようなイエスマンが多いのでしょうか…。

 

「力は正義」なんて人がいたら、最近、距離をとるようにしています。今の職場はそのような人がいないのが救い…。

 

 

 

 


 

撮影日:2023年8月12日

 

 ところで、このお盆は8月12日、15日と真面目に三渓園に行ってきました。昔母が「小京都っぽいつくりやね。やっぱり京都のほうがええわ」と言っていたのですが、単なる芸術家、趣味人というだけでなく、旧建築マニアでもあったというのは、横浜に来て20年目にして驚きアセアセ

 

メモオフィシャルサイト

横浜 三溪園 - Yokohama Sankeien Garden - 

 

蓮観覧会に加え、通常内部非公開の『鶴翔閣』および『旧天瑞寺寿塔覆堂』を特別公開されるというので、行ってきました。

 

風鈴蓮池

撮影日:2023年8月12日 13時すぎ

 

撮影日:2023年8月15日 11時すぎ

 

撮影日:2023年8月15日 11時すぎ

 

撮影日:2023年8月15日 11時すぎ

 

風鈴睡蓮池

前方に見える建物は三渓園記念館

 

撮影日:2023年8月15日 11時すぎ

 

撮影日:2023年8月15日 11時すぎ

 


特別公開になっていた建物を中心に…。

 

風鈴鶴翔閣|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)

 

1902年、原三渓氏の居住場所として建築された場所とのことです。

 

 

 

 

 

 

掛け軸「濱自慢」の掛け軸

 


 

 

 

風鈴臨春閣

臨春閣|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)
 

 江戸時代はじめの1649年(慶安2年)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と考えられた建物だそうです。
 原三溪は、臨春閣を豊臣秀吉によって建てられた聚楽第(じゅらくだい)の遺構の一部と考えていたそうで、園内に移築した際に、秀吉の時代(桃山時代)の美意識を求め、美術工芸の方面でも秀吉関係の書状や調度を集めました。三渓園のサイトで紹介されています。

 

収蔵美術品(桃山史料) | 横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)

 

撮影日:2023年8月12日 14時すぎ

 

撮影日:2023年8月12日 14時すぎ

 

 

内装は狩野派の襖絵!!

撮影日:2023年8月12日 14時すぎ

 

ちなみに、雨天のときは雨戸が閉まったままでした。

 

撮影日:2023年8月15日 12時ごろ

 

風鈴旧天瑞寺寿塔覆堂|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)

 

1591年(天正19年)に、豊臣秀吉が病気から快復した母・大政所の長寿を祈って建てた生前墓の寿塔を覆っていた建物だそうです。なお、この覆堂があった天瑞寺は大徳寺内の寺院の一つでしたが、明治時代のはじめに廃寺となり、現在は存在していないそうです。廃仏毀釈を免れたのでしょうか…アセアセ

 

 

 

撮影日:2023年8月12日 14時すぎ

 

 

撮影日:2023年8月12日 14時すぎ

 

 

 

関西人にはおなじみの豊臣秀吉の家紋の「桐紋」

 

 

 

 

在りし日の豪華さを想像します。

 


 

 

 

 

風鈴亭榭(ていしゃ)

 

豊臣秀吉の妻、北政所をお祀りする高台寺の観月台をもとに作られたそうです。

 

ここにもやはり「桐紋」

 

見えないけれども向こうには織田信長の弟、織田有楽の作とされる江戸時代初めごろの茶室がある春草廬|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)、右には徳川家ゆかりの建物そして、豊臣秀吉が関わった建物があるなんて…。

 

 

撮影日:2023年8月12日 14時すぎ

 

建物回っているだけでも2時間半はかかります。今回は13時すぎにきたものの、三重塔まで上がる時間がありませんでしたので、日を改めてトライしました。

 

風鈴旧燈明寺三重塔|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)

 

 1914年(大正3年)に、現在の京都・木津川市の燈明寺から三溪園へ移築されたそうです。

 

 

風鈴旧燈明寺本堂|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)

 

 燈明寺は明治時代以降衰退し、第二次世界大戦直後の台風の被害を受けたあと解体され、再建できないままとなっていたそうです。三重塔が移築されていた縁により、三溪園に寄贈され、1987年(昭和62年)に移築が完了したそうです。なんと、三溪園への移築の際に、当初の中世密教寺院の様式に復原されたそうです!!。

 

 

また不思議なものも…。

 

 

 

風鈴旧矢箆原家住宅|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)

 

 

 

 

 

 

お盆と彼岸のときだけ開帳される仏壇

 

カメラ碇と櫂の意匠の欄間

 

カメラ扇面ちらしの意匠の欄間

 

 

 

お団子お食事|横浜 三溪園 (sankeien.or.jp)

 

三渓園茶寮の氷(梅)。

三渓園の梅シロップと梅の甘露煮がのっています。2時間半、太陽の下歩き回った身にはやさしい味でした。また食べたいな。

 

 

2023年10月1日から入場料が値上がりするそうです。当初、夜桜しか知らない私は「700円ぼったくり」と思っていましたが、これだけの建物を維持するのであったら、大人一人900円でも安いかもと思いました。

 

いまどきですが、8月15日正午、宮崎駿監督の「君はどう生きるか」で話題のアオサギに会いました。

 

 

 

 


 

平和と幸せを祈ろう!

 

→正義と悪の二元論ではなく、

課題に対して、どう力を合わせるか。

でなければ、人も文化も国も成長はありません。

 

 

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