ちょっと時間があったら「鬼滅の刃」
1月6日、鎌倉に行った帰り、ちょうど横浜ブルク13のシアター1で鬼滅の刃を上映していたので、自分的に不発だったMX4Dの口直しに見に行ってきました。
■真ん中が入場者特典
シアター1は、最初から最後まで、音響がすばらしいんです。私の身長ではシアター1がちょうどいいんです。
最後の煉獄さんとアカザとの戦いのシーン、傷つけば傷つくほど、煉獄さんの「ヌオー!!!!」がボルテージアップ!!!MX4Dでは、ただの「ぬおおおお」だったのが身に迫る「ぬおおおおおお!!!…!」でした。
ところで、Newsweekに興味深い記事がありましたので、メモします。
(抜粋)
鬼滅の刃』に登場する鬼を、弱い心を持った他人として捉えるのではなく、自分の中にいる鬼、つまり自分の影として捉えるとそれは自己成長の物語になる。つまり、自分の中の認めたくない影が投影された人は、自分にとって「嫌な人」の役割を演じてくれていると解釈をするのだ。したがって、その人を責めたり変えようとするのではなく、その人に投影された認めたくない影を受け入れてあげる事が大切だ。自分の影を受け入れていくと、ペルソナと影の統合が進み、だんだん周りの人への投影も減ってくる。つまり、嫌な人が目の前にあまり登場しなくなり、ストレスも減る。周りからは、「丸くなったね」とか「人間としての器が大きくなった」と思われるだろう。
その逆に、自分の影を無意識の領域に抑圧し続けると、他人を変えようとしたり人間関係がこじれたりして、心はますます満たされなくなるだろう。影の投影が家族や友人といった個人だけではなく、特定の共同体やグループにも広がり、「この世の中は腐っている」、「この国は最悪だ」、「この民族は悪だ」といった排他的思想や憎悪につながる危険性もある。自分の影を受け入れるのはとても勇気がいる事だが、それに気づいて受け入れた時、その認めたくない側面は逆に魅力的な個性にもなりうる。自己受容のプロセスにおいて、排他的思想や憎悪という自分の心の中にいる鬼も認めてあげる事、それがペルソナと影の統合とも言える。
(抜粋ここまで)
こんなふうにユング心理学から分析されると「なるほどな」と思います。
この作品では炭次郎の深層心理が描かれます。「碧い澄み切った空」はきっと彼の曇りのない生き方だろうし、光の小人はそこに導くための亡くなった家族や祖先のペルソナなのかなと思っています。彼を殺そうとした刺客でさえ、光の小人に触れて、自分の行いを振り返ります。
また、「自分の影を無意識の領域に抑圧し続けると、他人を変えようとしたり人間関係がこじれたりして、心はますます満たされなくなるだろう。」というのは、特にお隣の国が体現してくれています。実は、お隣の国でも1月17日からの公開されますが、どう受け止めるのか…ちょっと気になっています。