【美術館】ミーハーなルーヴル美術館展  | いろいろといろ

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学術的な説明はおざなりに、個人的なミーハー精神でこの展覧会にいってきました。
 
「ルーヴル美術館展
肖像芸術——人は人をどう表現してきたか 」
 
プロローグ:マスク 肖像の起源
第1章  :記憶のための肖像
第2章  :権力の顔
第3章  :コードとモード
エピローグ:アルチンボルド 肖像の遊びと変容
 
 
個人的に圧巻だったのは「第二章の権力の顔」にあったリュシュリュー像とナポレオンの皇帝正装の大理石像とデスマスク。
リュシュリュー像は絵葉書にもなっていませんが、教科書に出ているしょぼくれた爺さんではなく、「ベルサイユのばら」のジェローデルかとも思われるような大理石像で「権力の顔」の場所にあらせられます。
三銃士の作者、大アレクサンドル・デュマもこのルーブル宮にあるリュシュリュー像をみたのかと思いをはせてしまいます。
 
■絵葉書にもなっているナポレオンの大理石像
 
 

■絵葉書にもなっているナポレオンの大理石像

高さ2メートルもあり、威圧感を与えます。日本テレビのサイトの説明によると、元老院の議事堂であるリュクサンブール宮の皇帝の間をかざるためにクロード・ラメに制作されたものだそうです。
古代ローマの皇帝に由来する月桂冠をかぶり、フランス王室伝統の白テンの毛皮、ビロードのマントを羽織り、皇帝ナポレオンが古代の理想に連なるフランスの聖なる君主だということを演出。そして、ブルボン王家が百合を紋章としたのに対し、ナポレオンはフランス最古の王朝メロビング王朝のゆかりのミツバチを紋章に制定し、マントにちりばめています。別の展覧会では、プチトリアノンの執務室の机にもミツバチの紋章がありました。
マントの裾のミツバチ刺繍の立体感は圧巻です。
 
■ナポレオン1世のデスマスク
※画像は日本テレビのサイトから借りてきました。
1821年5月5日 追放先の孤島セントヘレナ島でナポレオンが没しました。日本テレビのサイトの説明によると、7日~8日にイギリス人の主治医バートンが石膏でデスマスクを作ったでそうです。同じくイタリア人の主治医のフランチェスコ・アントンマルキ、バートンが作成したデスマスクの顔の部分だけを持ち去ってしまったそうです(!?)。
そして、1833年、フランスに移り住んだアントンマルキ、デスマスクを石膏で複製し、予約制で限定で売りさばいたそうです。当時は7月王政でルイ・フィリップはナポレオンを崇拝する諸派を懐柔するために、ブロンズ製5点、石膏製25点を購入したそうです。
 
■アングレーム公妃 マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス
 
 
権力の顔の終わりをしめくくるのはこの人、かのマリー・アントワネットの娘、マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス。ロシアのミタウに行って、アングレーム公と結婚してからというものルイ18世とともにロシアのサンクトペテルブルク、ポーランドのワルシャワ、イギリスを経て1814年ナポレオン失脚後にルイ18世が即位、復古王政が始まったときに描かれたものだそうです。ウィキペディアによると、非常に質素につつましい生活をしていたそうですが、この肖像画では「我こそ王朝を継ぐもの」という雰囲気がみなぎっています。
 
また、16世紀にさかのぼってヴァロア王朝時代の王様の顔をコインで拝見できたのも今回の収穫でした。萩尾望都が「王妃マルゴ」の生涯をコミック化しておりますが、ナヴァル王アンリはどんな人なんだろうと興味がありました。コミックとは似ても似つかない髭が生えた、でも当時ハンサムとされた顔がそこにありました。
 
■萩尾望都が描くナヴァル王 アンリ

明日(2018年7月29日まで高校生は無料だそうですので、ぜひ行ってみてほしいものです。私が行った日も熱心にメモをとっている高校生がいました。

 

ちなみに今回の展覧会の顔になっている「女性の肖像」「美しきナーニ」。某日経〇〇Fでは高級娼婦?と書いてありましたが、左薬指の指輪などから既婚女性という説が有力であるようです。

 

 

2時間歩きとおしでしたが、とてもミーハー心を満足させてもらった展覧会でした。今年はあともうひとつ、「ルーベンス展」に(がんばって)行く予定です。

 

ではでは。