先日、会社の知人が突然亡くなりました。
「元気」「明るい」という言葉でしか形容できない人で、突然の訃報にびっくりされた方が多かったようです。亡くなったのは某駅。駅員さんが倒れた後駅のベンチに座っていた知人に声をかけて救急車を呼ぼうとしましたが、知人は「大丈夫です」と断ったそうです。でも、30分後、もう一度駅員さんが声をかけたときには、もう呼吸がなかったとのこと。
「救急車を呼んでくださいといっていれば助かったかもしれない」
というのは、その話を聞いた共通の知人の言葉。
実は、私もあわやという経験があります。
それは不意にやってきました。
急な吐き気と頭痛、関節の痛み。
肘やひざの関節がどんどん重たくなって、冷たい塊になっていく感覚。
なんとか、回復して、電車で帰りました。
その夜は
「このまま目覚めないんじゃないか」
という考えが頭をよぎりました。
でも、朝太陽に照らされた部屋の中で目覚めたとき、「あ、生きてる」と実感。その後、何事もなく、会社に行きました。その2日後、健康診断にいったところ、病院から急に連絡があり、至急再検査。
先生いわく
「今日、明日に死んでいてもおかしくない」
こちらとしたら、「何をいっているんだ」と思っていたのですが、救急病院に運ばれ3日間検査をされたところ、急性心筋症ということで、
すでに心臓の一部が動いていない
…とのこと(゚ー゚;。
また、先生いわく
「男性だったら死んでます」
女性ホルモンには、脂肪を分解する働きがあるそうで女性のほうが生き残るそうです。
memento mori(メメントモリ)はラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「死を思え」といった意味だそうです。ヨーロッパの教会に行くと、骸骨や人体骨のオブジェがありますが、この「メメントモリ」という考え方が根底にあるそうです。
memento mori(メメントモリ)を実感するということ自体、年を重ねてきたのかと思うのですが、
「救急車を呼んでください」
というこの一言がいえるかどうかで人生が分かれるんだと思います。
どん底にあるとき、「自分がいなくなったらどうなるだろう」とか「あの人がいなくなればいいのに」なんていう考え方が頭をよぎることがあると思うのですが、冷たい塊になったら、この体での生は終わりなんですよね…。
死後の世界というのは、生きている人のためのもの。心だけがさまよっても実体はないんです。簡単にあきらめちゃいけないと思うし、簡単に人の命を奪うことを考えてもいけない
memento mori(メメントモリ)を強く思うことが、見えない「死の崖」から生還して命をまっとうすることに繋がるのではないかと思い、ブログを書きました。
ではでは。