個人的なことですが、職場の組織変更があります。
去る人は引き継ぎで、残る人は今かかえている仕事にON & ON♪。
私の立場は残って仕事を引き受ける人なんですが、仕事は次から次へと降ってくる~よりどころになる情報のはずがズタボロで8時間ほど確認作業が発生する~という状況。でも、ちょっとひいてみると、「そういう」職場だから、「そういうこと」になっちゃったんだなぁと引き継ぎながら実感中です。
できたときは目的やミッションがあったはずなのに、時間がたつにつれて仕事のミッションや目標があいまいになり、みんな一所懸命やっているのにもかかわらず、存在意義が問われるようになっていく職場の典型かなと思います。
今、仕事の「あと」に隠れた心をみるたびに、「あの人は実は…」(いい意味も悪い意味もあります)とか、「プレッシャーにつぶされそうになっていたのかな」と思ったりしています。
仕事の「あと」の中に、先入観やプライドに囚われた人の心を見るたびに思い出すのは、実家のみかんの木にいっぱいいたアゲハ蝶の幼虫が蝶になるまでの過程。
■アゲハ蛹化
(CR:高嶋清明)
■アゲハ羽化
(CR:高嶋清明)
こうやって蝶になれるのはいいんですけど、なかには変化についていけず羽化できなかったり、幼虫であっても脱皮ができず、そのまま死んでいく幼虫もあるわけで…。
先入観やプライドに囚われて抜け出せなくなっている人をみるたびに、脳裏をよぎるのはそうやって死んでいった幼虫たちのこと。
時の流れの中で、もともと自分がもっていた知識や考え方がこの世で生きていくのに窮屈になっていくのはよくあることで。
窮屈な中で、次の世界のことをじっと考えながら脱皮のタイミングを図っている…そんな蝶の幼虫の試練の耐え方に最近、学ぶことが大きいと思うのです。
ではでは。