ロシア料理の名店 Pechka
「天野さん、代わって」
電話を受け取ると、柔らかく語りかける。
「千﨑さん? 週末、おふたりをご接待することにしたから――そのお返し、ちゃんと考えといてね」
そう言って電話を切ると、何食わぬ顔でスマホを天野に返した。
「……ありがとうございます」
天野次長が小さく頭を下げる。
その後、伊達木社長は、高速道路に乗るや否や、今度は自分のスマホで電話をかけ始めた。
立て続けに。
「もしもし、久保さん? 今夜、空いてる?」
「ええ、ええ、お願いできそう? お兄さんにもお手伝いお願いできるかしら?」
「じゃあ、ホテルには私の方から連絡しておくから」
次にかけた相手にも、同じように。
「湯村さん、お久しぶりです。今夜、ご予定あります?」
「それじゃあ、6時にインディゴ集合で、楽しみにしておいてくださいね」
ひと通り連絡を終えると、伊達木社長は満足そうに、にっこり笑った。
「……楽しい夜になりそうだわ」
「社長、気になりますって! 何が始まるんですか~?」
大杉主任がじりじりと詰め寄る。
伊達木社長は、少しおどけたように肩をすくめて言った。

「わかったわよ、わかった。実はね――昔、長崎に“Pechka”っていう老舗のロシア料理店があったの。2020年に惜しまれつつ閉店しちゃったんだけど」
「Pechka……?」
「ロシア語で“печь”。意味は“暖炉”よ。高級とは少し違うけど、センスが良くて、雰囲気も味も、ほんとに素敵なお店だったの」
「へえ……」
「で、今夜。そのPechkaが――インディゴホテルの中に、一夜限りで“復活”するのよ」

「……はあ」
天野次長と大杉主任は、情報量の多さに、まだ理解が追いつかない様子で目を見合わせた。
その表情を見て、伊達木社長は満足げに微笑んだ。
ただ、何かを、確かに動き出させようとしていた。
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