「CB650R e-clutch」って、バイクでしたっけ?
「4年」の意味
1995年1月26日から27日の日程で、松岡支店長と小川次長は大阪へ出張した。27日の午後3時頃、小川次長から俺あてに電話がかかってきた。
「総企の柴田部長も同意、堀崎社長も了承してくれた。」
「それは良かったですね。」と俺が答えると、次長は続けて言った。「あと、国際業務部の田沼部長にもオフレコで報告しておいた。『山本に、2年間よくやったと伝えてくれ』とのことだ。」
「それはありがたいお言葉です。」
だが、次の言葉が少し意外だった。「ただし、な。」と小川次長が続けた。「『残りの2年は、既存取引先との交渉と新規開拓に注力せよ。』、だそうだ。」
田沼部長流の「激励」である。“これからが本番だ”という、厳しい現実を突きつけられたような気がした。
今のタイミングで田沼部長からそんな言葉が出たということは、あの『4年』という期間、既に決まっていたんだろう。
小川次長は、電話の向こうから、「前半2年は『分析と打ち手の検討』。後半2年は『適正化実践と新規開拓』。田沼部長の意図がようやく見えてきたな。」
少し達成感に浸っていた俺だが、前半2年間の成果が後半2年にどうつながるのか、それを決めるのは、俺次第だという現実を突きつけられた気がした。
3月上旬、総合企画部から東京支店の1995年度年間業務計画が通達された。その内容は、4億ドルから3億ドルへの控えめな設定変更だった。東京支店の連中は、その通達を見た瞬間、急激な円高やバブル崩壊を加味した“お情け業計”だと受け取ったようだ。そんなもの、最初からわかっていたことだ。
5月の株主総会でも、特に異論は出なかった。東京支店の縮小は、もはや決定的となった。
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