彼女が泣いた日 ~ 御両親挨拶 10 | アスファルトのタイガー
CMの騒ぎから2週間経ち、マスコミの扱いも収まってきた頃、中林と佐伯玲はひっそり帰国していた。
自宅マンションへ戻り、そろそろ会社へ出ようかと準備をしていた。
会社へ出ればおそらくあちこちから問い合わせを受け、また世間に晒されることになるだろうが、それを済ませなければこの先何もできないと感じていた。
二人で打ち合わせを終え、翌日、朝から出社した。
中林はさっそく人事・総務の部長に呼ばれ、事情説明に追われた。
しかしこれといった理由もなく騒がれていたので被害者という立場で説明していた。
会社側はこれまでに中林が非難されるような言動をしていないことを確認済みで、マスコミが騒いでいたのはあの新人女優が勝手に起こした騒動だと分かっていた。
しかし社員が騒動に巻き込まれ、会社業務に影響を及ぼしたことは間違いなく、その原因はこうした社員の働き方にも一因があり、中林の扱いを見直すこととなった。
中林は会社の判断に従い、後日相談することにした。
佐伯玲はやはり人事・総務・社長室担当部長と面談し、事の経緯を確認した。
佐伯玲の婚約者が会社員とともに役者をしていることが分かり、そのさまに疑問を持たれ、会社にどんな影響が出るか検討がなされた。
まだそれほどの実害があるわけではなかったが、今後を想えば、世間を騒がせることは避けたいというのが本音らしかった。
佐伯玲は会社に迷惑をかけているというならば即刻退職することを宣言した。
会社のことを想えば、今まで力になりたいと思って仕事してきたが、逆に迷惑なら退職することをその場で申し入れた。
引き留める声もあったが、問題を大きくしたくない総務では穏便に済ませたいと言われ、人事部長は本人の意向を尊重すると言う。
社内ではすでに佐伯玲が寿退社するという見方が多く、この機会に退社しても何も変わらないことから、彼女は退社することを各部長に伝えた。
やや不本意ではあったが、それも人生と割り切っての事だった。
退職のスケジュールを部門と調整することにして、面談を終えた。
佐伯玲はホッとして、どちらかといえば清々した気分だった。
中林に電話でそのことを伝えると、そうか、とだけ言われた。
中林は後日、会社から勤務形態について提案を受けたが、業務委託のような形でどうかと言われ、そうまでしてここで働く意味があるのかと考え、退職することを選んだ。
二人は同時期に退職することとなり、それぞれに慰労会が行なわれた。
佐伯玲の場合は婚約後ということで寿退社とみなされ、部門で送別会があり、仲間うちの送別会は華やかに女子たちが送ってくれた。

その他では社長室より室長が佐伯玲を呼んで社長との会食の席を用意していた。
社長はとどまるよう言ってくれたが、もう結婚する予定ですからと辞退した。
中林は職場のメンバーが彼の業績を評価してくれて、有望な人間を失うことを残念がられた。
しかし中林が役者を兼業していることから、今後の活動に期待しているとの声が多く、芸能界での活躍を待っているからと言われていた。
二人はこうして会社生活を終え、売れない役者と専業主婦となった。
いや、見方をを変えれば売れない資産家役者と資産管理主婦かもしれない。
一方、芸能事務所では騒ぎが沈静化したことを受け、中林の扱いを以前の状態から本人が会社を退職したということからフルタイムの役者として登録し直した。
あの騒ぎは新人女優のわがままな性格が引き起こした問題だったとして相手側の事務所より謝罪があり、事務所的には向こうに貸しを作った形となっていた。
本人にはもう会うことはないだろうが、迷惑な話であるとともに、中林をPRする機会にもなっていた。
この間、中林はあのCMを通じて数多くTVに姿を現し、騒がれるたびに注目を集めていた。
そしてこれをきっかけに中林を使いたいと言うクライアントが多数現れ、事務所としては好都合な展開となっていた。
さっそく様々な仕事が舞い込み、その中からいくつかを中林に任せることになった。
旅番組の案内役とか、イベントのゲストとか、単発の仕事を選んでいた。

一つだけ連続ドラマの仕事があったが、あまり注目されそうにない番組内容で、経験を積むにはちょうどいいと思われていた。
こうして徐々に仕事が増えていき、役者らしく活動が出来てきた。
佐伯玲は専業主婦、いや未婚なので専業家事手伝いとなり、日々の家事を行いながら中林の持つ資産の運用を考えていた。

そしてあのプロポーズから1か月が過ぎようとしていた。
そろそろ結婚式の具体的な話があってよさそうなものだが、中林からは一向にその気配がなかった。
佐伯玲はそれならばと、役所から婚姻届けを取り寄せたり、式場のパンフレットを広げたり、結婚ガイドの雑誌を目につく場所に置いてアピールしていた。
中林は苦笑いしながらそれらを見ないように避けて歩き、頭を掻いていた。
役者の仕事が落ち着いたのを機に、中林は佐伯玲を呼んだ。
「玲の実家に行こう。ご挨拶しなきゃ。」
佐伯玲は思わず笑顔になり、内心で歓喜していた。
彼女の実家は神奈川の南部、海岸近くにあった。
転勤の多い父親が最後にたどり着いた場所だった。
高台の住宅地にある家は見晴らしがよく、海まで見渡せた。
彼女の父親は大柄な男で、優しい笑顔で娘を迎えていた。
母親は細身で長身の綺麗な人で、彼女と似ているのが分かった。

肝心の挨拶は家に入ってすぐ、リビングに通されたときに行った。

中林はソファーに座った両親を見て、すぐに床に正座して手を突き、口上を述べた。
「中林 俊と申します。佐伯玲さんとお付き合いさせていただいております。今日はお願いに上がりました。」
後ろに佐伯玲が近づき、同じように正座したのが分かった。
両親は一瞬動揺したようだったが、黙っていてくれた。
「私は玲さんを愛しています。ご両親が大切に育てた玲さんを私に任せてください。玲さんと結婚させてください。お願いします!」
最後に腰を折り、頭を床につくほどに下げ、両親の反応を待った。
静寂の時間があり、父親が口を開いた。
「頭を上げてください、中林さん。お話は分かりましたから椅子に座ってください。」
中林と玲は両親と向かい合ってソファーに座った。
「娘から話は聞いていました。娘がいいと言うなら、それで構いません。中林さん、娘をよろしくお願いします。」
母親が泣いているのが分かった。
娘も同じように泣いていて、男二人は無言で向かい会っていた。
電話してあったので食事が用意されていて、ゆっくりみんなで会話しながら食事が出来た。
ご両親は一人娘を可愛がり、ミッション系の女子校へ小、中、高、大学と進ませ、大手企業へと就職させていた。
彼女のキャラクターは両親から受け継いだものらしく、気さくで優しい人たちだった。
娘の選んだ男には特に注文は付けず、彼女が幸せならそれでいいと言ってくれた。
まもなく定年する父親はサラリーマンとしても優秀だろうと思われた。
一緒に酒を飲み、母と娘は台所に忙しく、夜になってもまだ話は尽きなかった。
今日はこちらに泊まることにして風呂を勧められ、一人で入った。
しばらくして玲がやってきて背中を流してくれた。
立ち上がると今度は前を洗い出し、男の全裸をくまなく洗った。
身体を触られてちょっと焦った中林は思わず勃起してしまい、彼女の実家で気まずい雰囲気になった。
彼女は素知らぬ顔で股間をピシャリと平手打ちして無言で洗い流し、何もなかったように浴室を出ていった。
真新しいパジャマをもらい、リビングで父親と二人になった。
「今度、街中で飯でも食べよう。」
父親が笑いながら誘ってくれて、中林はホッとしていた。
娘の父親から嫌われると、この先まったく何一つ良いことがないということを結婚した先輩たちから聞いていたからだ。

その後は父親と月一で飲み歩き、紹介された何軒かのBARで綺麗なママ達と親しくなり、中林の新しい定宿となっていた。

幾つか父親の趣味や公にしていない秘密を知ることとなり、ママ達とは余計に親密な関係になっていた。

寝る段になって客間に通され、玲と二人きりになった。
玲が何か言いたそうだったが、手を繋いで布団に座った。
顔を見つめると玲が抱きついてきた。
逆らわず、身体を抱きながら彼女を寝かせ、KISSをした。
上になり、自然に重なって身体がお互いを求めていた。
「今日はまずいだろ。」
身体をあわせながら、やっと声を出して玲をなだめた。
玲は無言で抱き着いたままだった。
「これでよかったか?」
中林は玲を見てつぶやいた。
玲はKISSしてきて抱きしめる。
「よかった。」
玲は自分自身へ聞かせるように安心した声で囁いた。
「俺もホッとした。」
二人はしばらく抱き合ったままでじっとしていた。
中林は自分の親には電話しておいたからと言って、後日会いに行くことにした。
やがて一人で寝ることにして、玲を解放した。
玲は笑顔を残しながら部屋を出ていく。
中林は今日の口上の出来栄えを回想していた。
”どうだったんだろうなあ。”
もう少し、何か出来そうな気がしたが、もう終わったことだ。
布団に入り、明日のことを考え始めているうち、眠っていた。

朝食をいただき、少し早いがおいとますることにして両親に見送られながら車を出した。
せっかくなので茅ケ崎、湘南をドライブし、部屋へ戻った。
部屋でくつろぐと玲が寄ってきた。
「ご苦労様でした。」
コーヒーを出しながら言葉を添えた。
「嫌われてなきゃいいけど。」
そんなことはないと否定して、彼女は笑う。
”ああ、そういうところがいい女だなあ。”
中林は本当に玲に好かれていて嬉しかった。
この世に一人だけの相手がいるとしたらこの彼女だと思うのは勝手な思い込みだろうが、そう思いたくなってくる。
中林は結婚式について、どのようにしたいのか、玲の望みを具体的に出してくれるよう依頼した。
まずは玲のプランで考えることにした。
中林にすればどのような形であれ、主役は花嫁だと思っていたので彼女のやりたいようにしようと考えていた。
さっそく玲は真剣に式のイメージを考えだし、それに没頭し始めた。
中林はこの厄介な宿題から解放され、役者仕事に専念できた。
仕事は順調に進み、ドラマですら問題なく撮影されていた。
そして月末には彼女の父親と待ち合せて飲み歩いていた。
父親は難しい人でなく、職場の上司のような雰囲気で中林を連れて歩いた。
行く先々で連れがいることを珍しがられ、普段は一人で飲んでいるのが分かった。

「こちらは、どちら様?」
BARのママから聞かれるたび、父親は後輩だと言っていた。

酔うにつれ、父親は陽気になり、中林の話を聞きたがった。
中林が会社員を辞めて役者の仕事をしていることを玲から聞いていたらしく、面白そうな仕事だと言っていた。
いつまで出来るか分かりませんけどと言って、今の仕事の中身の話をしていた。
また玲のどこが良かったんだと聞かれ、返事に困っていた。
父親にそんなことを聞かれるとは思っていなくて、失礼なことを言わないように気をつけていた。
「すべてに、優しいところでしょうか。」
父親は遠くを見るような目で、カウンターの向こうを見つめていた。
3軒目を出たところで父親はタクシーに乗った。
「今日は良かった。いい話が聞けた。」
そう言って帰って行った。
玲にこのことを話すと、驚いていた。
「父は一人でしか飲まないのに。一緒だったの?」
玲のどこがよかったのかと聞かれ、優しいところと答えたことを教えた。
「え?綺麗なところじゃなくて?」
中林は玲を無視してTVをじっと見る。
玲は時々こんな風に知らん顔で人をからかう時がある。
そういう時は聞かなかったことにしている。
”こいつ、自分をわかってて言うからなあ。”
「式の内容は決まった?」
「まあ、大体は、ね。でもまだよ。」
玲はノートに式次第からアトラクションまで書き込んでいた。
そんな調子で式の日取りはまだ決まっていなかった。
中林はこれからの仕事について事務所と打ち合わせがあった。
新しい仕事が入ってきて、調整が必要になっていた。
ドラマ撮影で地方へ行かなくてはならなかった。
この撮影は週5日ほど、4週間ほど続く予定だった。
原作も脚本も有名な作家が担当すると言う噂で、このシーズンの話題作となりそうな話だった。
佐伯玲を部屋に残し、地方の宿で過ごすことになりそうだったが、玲は一緒に行きたがっていた。
仕事だから一緒にはいけないと説得し、休みに帰ってくることにして玲をなだめた。
地方ロケでは夜の宴会が多く、コミニケションを取る機会が多いのが常であり、この機会を逃すと業界での立場が悪くなるのは目に見えていた。
また、どんなトラブルが出るかわからず、玲を連れて行くのは危険極まりなかった。
それでも婚約したばかりの女に一人でいろというのも酷なわけで、出発までは毎日相手を務めていた。
そして地方ロケに出発すると、演者たちで大いに盛り上がっていた。
撮影は順調に進み、夜は主役俳優の主催で宴会が毎日のように開かれ、酒びたりの毎日だった。
地方には俳優たちの行きつけがあり、そこで夜を過ごすものも多く、宿に帰らないものもいた。
中林は地方に出たことが少なく、馴染みという店がなかった。
そんな中林を先輩の某が連れ回し、店を紹介していた。

先輩は三枚目俳優ながら人気のある人で、この地方にもなじみの店や女がいた。
中林を連れて歩き、自分の馴染みの店で女と会っては中林にも女を紹介して過ごしていた。
先輩の彼女は30前の美人で衣装もきわどい姿だった。
紹介された女は同僚のようで、独身の綺麗なコンパニオンのように見えた。
気がつくと先輩は姿を消し、中林は女と二人になっていた。

女は妖艶に中林を誘い、店外へ連れ出していた。
次の店を出たところでマンションへ招かれ、彼女の部屋へ入った。
部屋は独身女性らしいこじんまりとした部屋で、綺麗に片付いていた。
彼女が酒を出し、台所で肴を用意していた。
中林は彼女がつましい暮らしをしているのに気がつき、その質素な暮らしぶりに好感を持った。
彼女はおとなしくお酌をし、やさしく中林を相手していた。
そしてグラスが空いた頃、彼女は中林にしなだれかかり、肩に顔を乗せていた。
手を出すまいとしていた中林だったが、彼女の息が耳元に触れた途端、うっかり勃起してしまい、彼女にそれを悟られてしまった。
彼女は無言でそれを撫で、撫でながら首から耳を責められ、股間が痛いほどだった。
彼女が急に立ち上がり、照明を消した。
彼女が抱きついてきて、男は床に横になった。
そして朝まで部屋から出てこなかった。
早朝、宿へ戻った中林はこっそり部屋へ入り、布団に入って眠った。
やがて誰かが起こしに来て、この日の撮影が始まろうとしていた。