
ファルネーゼという会社の名前の由来は
イタリアの名門一族「ファルネーゼ」の王子と結婚した
オーストリアの王女マルゲリータがこの地を訪れた時、
その素晴らしい風景と気候に我を忘れ、この地で生活し、
葡萄栽培を奨励した事に由来する。
この、お城を改築したオフィスでは、お客様を迎えたり
皆様にテイスティングして頂いたりといった
営業オフィスになっており、ここで醸造は行っていない。
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・・・ここで、
ファルネーゼ社の数字について少しご紹介したい

●我々は1994年に設立した。
そして日本にワインを輸出し始めたのも同時期だ。
本拠地はオルトナにあり、ワインの年間生産量は約1,200万本となっている。
1,200万本という数字は確かに大切ではあるが、
それよりも、
我々が大切に考えているのは
価格を上回るクオリティ、
すなわちワインのバリューである。
●輸出国は現在74ヶ国で、全ての大陸にワインを輸出している。
なかでもフランス、スペインといったワインの有名生産国に
輸出をしているということは私達にとって大変重要なことである。
何故なら、自分の国で普段飲んでいて馴染みあるワインを
旅行・仕事で出張した時に、現地で見つけることができるというのは、
全く知らないワインを買うよりも非常に嬉しいことだと思う。
●私達は南イタリアにおいて、
どのワイナリーよりも沢山の賞を受賞している。
過去3回、イタリアのベストワイナリーに選出され
過去6度のベストイタリアンワインに選出されている。
このうち5回がエディツィオーネ、
1回がオピ・モンテプルチアーノ・リゼルヴァである。
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偉大なワインを造る為には素晴らしい葡萄が必要だということは
重要なポイントだが、その葡萄のクウォリティを失わない為には
最新設備を備えているということもまた非常に大切だ。
我々はワインメーカーのリサーチに従い、
常に最新設備に投資している。

ここは我々のセラーの一部だ。
ここには約3,000の熟成用樽があり
パイプラックには写真の様に、樽を回転させるための車輪がついており、
いつでも手で簡単に樽を回転させることができるような設備になっている。
またワインの熟成環境には完璧なコンディションが必要なので
窓やライトは無く、温度、湿度も完璧にコントロールされている。
我々の使用する樽はアメリカンオークとフレンチオークがあり、
毎年ワインメーカーがフランスの樽製造元まで出向き
樽材の品質をチェックし、一番良いものを選定し製造して貰っている。
オークのフレイヴァはワインの熟成にとって非常に重要な為
ワインメーカーは数ヶ月毎に
全ての樽からサンプルを取ってテイスティングを行っている。
そして自分本位のフレイヴァに仕上がっていない樽には
写真のように「NO」とチョークで書き記して取り除き、
高品質を保つよう管理している。
また熟成期間はいつも同じでは無く、
ワインメーカーが先程の様に試飲を繰り返し
これはパーフェクトだとか、これはもう少し熟成が必要だとか
常にフレキシブルにその期間を決めている。
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さて、ワイナリーというのは素晴らしい葡萄畑、
エリア、設備を備えているだけではまだ成り立たない。
それを運営する人というのが大変重要になってくる。

今写真でお見せしているのが、 カミッロ・デ・ユリウスだ。
彼がファルネーゼを設立した人物なのだが
彼は若い頃、イギリスに渡ってレストラン事業を成功させ、
レストランチェーンを経営するまでに至っていた。
しかし、彼にはいつか故郷で、
ワイン醸造に関わる仕事をしたいと常に夢を抱いていた。
それで60歳を過ぎた頃にイタリアに戻る決心をし、
レストランチェーンの全てを彼の子供に譲って、
生まれ故郷であるイタリアのアブルッツォ州に戻ってきた。
そして94年にファルネーゼがスタートした。
カミッロは
フィリッポ・バッカラーロと私を会社に参加する様に誘った。

フィリッポは3代続くワイン生産者の家族の出身だ。
ワイン生産者の家族の一員だということは、非常に重要である。
何故なら祖父や父が培ってきた経験が
全て息子、孫に受け継がれるからである。
20世紀初旬、ワインの生産地域では誰もが職人的にワインを造っており、
それまでは科学的に醸造技術を学んだものは、誰ひとりとして
いなかった訳だが、フィリッポの祖父はピエモンテで一番最初に
醸造学を学校で学び、ワインを造り始めた作り手のひとりだった。
フィリッポはワイン造りの長い伝統があるエリア、
ピエモンテ出身だったが、偉大なワインを造りたいと常々思っていた。
彼は、偉大なワインを造る為には日照条件が重要な要素のひとつと考え
南へと向かい、我々の居るアブルッツォに来たという訳だ。

私もフィリッポと同時期にファルネーゼに参加したのだが
私の家族もまた葡萄畑を持ち、ワイン造りに携わっている家系だった。
私の父は大きなワイナリーに約35年間ディレクターとして勤めていた。