マリララ家の毎朝繰り広げられる朝食時の光景です。
かあちゃんが食べるヨーグルトがお目当て。
かあちゃんが食べ終わったヨーグルトのカップはマリーがもらいます。
ララは蓋の上にちょっぴりのせてもらいます。
すっかりカップを舐め尽くしたマリー。
そのカップをララが舐めます。
もう匂いしか残っていないカップをひらすら舐め回すララです。
冷たい風に吹かれた散歩から戻るとマリララはストーブの前でまったり。
もう外には出たくないマリララを残してとうちゃんは出動しました。
かあちゃんが食べるヨーグルトがお目当て。
かあちゃんが食べ終わったヨーグルトのカップはマリーがもらいます。
ララは蓋の上にちょっぴりのせてもらいます。
すっかりカップを舐め尽くしたマリー。
そのカップをララが舐めます。
もう匂いしか残っていないカップをひらすら舐め回すララです。
冷たい風に吹かれた散歩から戻るとマリララはストーブの前でまったり。
もう外には出たくないマリララを残してとうちゃんは出動しました。
行った先は埼玉県大里郡寄居町のここです。
山内上杉氏の家宰長尾景春が1476年に築城し、1500年代半ばに上杉氏から
小田原北条氏の支配となり北関東支配の拠点として戦略上重要な城となりました。
山内上杉氏の家宰長尾景春が1476年に築城し、1500年代半ばに上杉氏から
小田原北条氏の支配となり北関東支配の拠点として戦略上重要な城となりました。
やがて戦国大名の攻防の場となり武田信玄や上杉謙信が攻撃しています。
さらに豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)に伴い前田利家、上杉景勝、真田昌幸、
浅野長政、本田忠勝、鳥居元忠らの武将に攻められ1ヶ月の篭城戦ののち開城して
廃城とまさに戦国時代を駆け抜けた城です。
さらに豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)に伴い前田利家、上杉景勝、真田昌幸、
浅野長政、本田忠勝、鳥居元忠らの武将に攻められ1ヶ月の篭城戦ののち開城して
廃城とまさに戦国時代を駆け抜けた城です。
寄居駅からほど近い正喜橋からの鉢形城跡。
荒川の地形をうまく利用して築かれています。
河原に降りてみました。
ここから攻め上るのは無理でしょう。
正喜橋を渡ると案内板と立派な鉢形城復元地形模型があります。
鉢形城はなかなか広くて中央部が自動車道が通っていたり鉄道も横切っています。
今時、踏切の標識が蒸気機関車というのがちょっと笑えますね。
まあ、電化されていない路線なので違和感は全くなし。
荒川の地形をうまく利用して築かれています。
河原に降りてみました。
ここから攻め上るのは無理でしょう。
正喜橋を渡ると案内板と立派な鉢形城復元地形模型があります。
鉢形城はなかなか広くて中央部が自動車道が通っていたり鉄道も横切っています。
今時、踏切の標識が蒸気機関車というのがちょっと笑えますね。
まあ、電化されていない路線なので違和感は全くなし。
また城の中央部は深沢川が流れています。
城の中心部は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれ天然の要害をなしています。
城の中心部は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれ天然の要害をなしています。
車でいくなら鉢形城歴史館の駐車場を利用すると良いでしょう。
歴史館の入り口、大きな木の門が何とも言えません。
すぐ横には紅梅と白梅が咲いていました。
鉢形城跡はその言葉通り建物は無く堀と土塁ばかりです。
そんな中で建物が見えました。
三の曲輪です。
三の曲輪の上部は秩父曲輪で、かつては庭園や池があり建物の跡も発掘調査で見つかって
おり復元した家屋が建っています。
屋根が瓦ではなく板葺きというのがいい感じです。
荒川の方に寄ってみると寄居の町並みが広がります。
下を見やると先ほど降りた河原が見えます。
河原から見るより上から見下ろす方がずっと高さを感じます。
建物の横にはこれも復元した4段積みの石垣があります。
石垣のもう一方の端は四脚門につながっています。
これも屋根は板葺きで土塀がよく似合っています。
角度を変えて土塁の下から鉢形城跡の最高地点。
はためく旗に思わず自転車を担ぎ上げました。
最高地点からの眺めです。
鉢形城跡は復元した建物がわずかばかりあるだけであとは土塁と堀ばかりです。
しかし、広さはたっぷりあり歴史好きな人には良い散策ができると思います。
とうちゃんも歴史が好きなのでこの場所を最後に城跡を出ました。
馬出とは虎口(出入り口)を守ると共に内部を見えないようにする施設ですが
どこが馬出しなのかよく分かりませんでした。
歴史館の入り口、大きな木の門が何とも言えません。
すぐ横には紅梅と白梅が咲いていました。
鉢形城跡はその言葉通り建物は無く堀と土塁ばかりです。
そんな中で建物が見えました。
三の曲輪です。
三の曲輪の上部は秩父曲輪で、かつては庭園や池があり建物の跡も発掘調査で見つかって
おり復元した家屋が建っています。
屋根が瓦ではなく板葺きというのがいい感じです。
荒川の方に寄ってみると寄居の町並みが広がります。
下を見やると先ほど降りた河原が見えます。
河原から見るより上から見下ろす方がずっと高さを感じます。
建物の横にはこれも復元した4段積みの石垣があります。
石垣のもう一方の端は四脚門につながっています。
これも屋根は板葺きで土塀がよく似合っています。
角度を変えて土塁の下から鉢形城跡の最高地点。
はためく旗に思わず自転車を担ぎ上げました。
最高地点からの眺めです。
鉢形城跡は復元した建物がわずかばかりあるだけであとは土塁と堀ばかりです。
しかし、広さはたっぷりあり歴史好きな人には良い散策ができると思います。
とうちゃんも歴史が好きなのでこの場所を最後に城跡を出ました。
馬出とは虎口(出入り口)を守ると共に内部を見えないようにする施設ですが
どこが馬出しなのかよく分かりませんでした。
馬といえば ・・・戦国時代の高速の乗り物は馬でしょう。
現代は ・・・ 人力の乗り物なら最速はロードバイク!!
虎口があるつもりで、いざ、帰宅じゃー。
現代は ・・・ 人力の乗り物なら最速はロードバイク!!
虎口があるつもりで、いざ、帰宅じゃー。
もう1枚紹介。
城跡のど真ん中にあるエドヒガン桜。
推定樹齢150年、樹高18m、根回り6.5mの巨木で町指定の天然記念物だそうな。
そばにはカタクリの群生地もあるので春先にまた行ってみます。
城跡のど真ん中にあるエドヒガン桜。
推定樹齢150年、樹高18m、根回り6.5mの巨木で町指定の天然記念物だそうな。
そばにはカタクリの群生地もあるので春先にまた行ってみます。