北海道胆振地方にまた大きな地震がありました。被害が無いことを願っております。
YT先輩から「ブログを見ていて昔を思い出した。この時俺は、石北本線に1527レや常紋に行っていた。こういう企画はいいね~。」
と言っていただけました。そんな話を聞くと掘り起こしも楽しいもので、俄然頑張っちゃいます
昨日に引き続き、1975年2月「初めて渡道」本日は、その3浜小清水以降です。
2月13日(木)
前日の夜のミーティングで、関西から来た方たちと意気投合。斜里付近で流氷が厚くなっているとの情報を得て、13日は最初斜里まで戻る事になりました。
まずは乗車する「浜小清水駅」の入場券を購入。

斜里まで普通列車で向かい、斜里駅から斜里港方面に向かっていたようです。

その後、関西から来た方たちと別れ、私たちは再び網走へ。
網走から石北本線で留辺蘂(ルベシベ)を目指します。
留辺蘂へ行く前に北見駅で途中下車。
当時の北見駅です。

北見駅の入場券です。

北見駅途中下車の時間を使って、機関区周辺を散策していました。

大きな給炭施設が見えます。SLの煙とドレーンが逆光に輝いています。
再び石北本線で留辺蘂を目指し、この日は「留辺蘂YH」に宿泊しました。

2月14日(金)
留辺蘂駅から有名な常紋峠を越えて遠軽へ向かいます。
乗車したのは石北本線では珍しくなっていた客車列車だったのか、気動車だったのかのは記憶にないのですが、乗車口が雪まみれになった旧客を気に入って撮ったようです。

蒸気暖房の湯気で白っぽくなっています。
当時の私は常紋越えなどという事は興味を持っていなかったので、記憶に残念ながらありません。
遠軽ではスイッチバックしたのが楽しい思い出。この当時はこの先に中湧別方面の名寄本線がありました。
上川で下車して、層雲峡を目指しました。
上川駅の入場券です。

層雲峡は当時から有名観光地でした。
宿泊は層雲峡ロープウェイ近くの「層雲峡YH」でした。

2月15日(土)
宿泊した「層雲峡YH」はその後建物の老朽化とペアレントの退職で閉館したそうですが、今でも「層雲峡ホステル」として夏の間だけ開館しているそうです。
この日は一日層雲峡観光、歩いて有名な「銀河の滝」へ。冬の間は滝一面が凍るので、その氷をクライミングしている方がいて、その様子を遠くから眺めました。
帰りは国道39号線(大雪国道)を逆戻り、ヒッチハイクしたら車が停まってくれて、楽ちんで層雲峡温泉へ戻れました。
宿泊は「層雲峡YH」連泊です。

2月16日(日)
層雲峡から上川まで戻り旭川へ。
旭川で途中下車します。

旭川からは、昼頃に旭川を発つ急行では唯一稚内まで行く、天北線経由の「急行天北」に乗車して稚内を目指します。
この「急行天北」では優しいおばさんと席が一緒で、貧乏旅行の私たちが腹をすかしていると、おにぎりを1個ずつ分けてくださいました。その事が嬉しくて、今でも鮮明にその時のことが記憶に残っています。
途中名寄駅ではキ100とキューロクの姿を見て車内から撮影しました。

17時過ぎに稚内着。稚内のホームで記念撮影。

顔だけ少しボカシ入り
この日はそのまま、「稚内YHへ」

2月17日(月)
この日はまず、ドーム式防波堤「北防波堤ドーム」へ行ってみました。
ドーム防波堤は戦前に、稚内と樺太の大泊を結んだ稚泊連絡船が接岸した桟橋にあった防波堤で、上の「稚内YH」のスタンプの図案にもなっています。
当時は「稚泊航路」の鐘と記念碑がありましたが、C5549は翌年6月に保存ですので、当時はまだありませんでした。
そのC5549も長年の風雪で痛み、平成8年に解体。今では動輪のみ残されています。
2012年9月5日撮影、C5549の動輪。

動輪だけでも潮風に当たり、相当傷んでいました。
1975年に戻ります。ドーム防波堤を見た後は稚内の市街が一望できる「稚内公園」へ歩いて向かいました。
稚内公園から見たドーム防波堤と市街地。

大きなドーム防波堤が印象的です。
稚内駅に戻り、それまで同行していたYI君と数日は分かれて行動することになりました。
当時の「稚内YH」の夕食は毎日「カレーライス」。カレー大好きの私はそのまま「稚内YH」連泊を主張したのですが、YI君はそれに反対。当時有名だった「浜頓別YH」へ行きたいとの事。それではここから数日の間は別々に行動しよう。という事になり、大沼の「イクサンダー大沼YH」で再び会う約束して、ここからは別行動となりました。
稚内駅までYI君を見送り、駅を撮影。

駅の入場券を購入。

私は、「稚内YH」連泊で2晩連続の「カレー夕食」でした。

稚内からの一人旅の様子から次回に。