1975年2月「初めての渡道」本日はその2、釧路以降です。
2月9日(日)
この日は国鉄を利用しないで、釧路から阿寒バスの乗車して「阿寒湖」を目指します。
阿寒バスにはワイド周遊券では乗車出来ません。当時としては痛い出費の乗車でした。
途中、阿寒町(現在は釧路市阿寒)に入って「丹頂の里」で途中下車。当時一番タンチョウが見れるのは「丹頂の里」でした。
お立ち台から丹頂を撮影。


当時も小屋の展望台が設置され、そこから撮影出来ました。
長いレンズで素晴らしいカメラの放列の中、ミノルタSRT101・ROKKOR-55mm×2ケンコーテレプラスで110mm相当ではこの程度にしか撮れませんでした。
阿寒バスに再び乗車し阿寒湖へ。阿寒湖は一面の結氷で、雪が積もって陸との境が分からないようになっていました。
アイヌコタンなどを訪問し、宿泊は「町立阿寒湖YH」でした。

2月10日(月)
この日も国鉄とは無縁で阿寒バスで移動です。
阿寒湖から摩周湖に行くバスに乗って、摩周湖を目指します。摩周湖第一展望台までバスに乗りますが、途中の観光地では一時停車。双湖台で「ペンケトー、パンケトー」を見て、双岳台で「雄阿寒岳」「雌阿寒岳」の写真を撮りました。この日は素晴らしい天気でどちらも綺麗に見えました。
摩周湖も天気が良かったので美しく、カムイヌプリ・カムイシュ島が湖面に映えました。遠くには斜里岳も良く見えていました。
宿泊は、弟子屈駅(現在の摩周駅)近くの「摩周湖YH」でした。

2月11日(火)
朝5時頃に起きて、YHのスタッフに連れられて、ホステラー有志で第一展望台へ徒歩で向かいます。
この時の気温が-24℃。先週あたりに-30℃との報道がありましたが、私もこの時-24℃を経験していました。マフラーを口の周りに巻いていましたが、吐く息でマフラーがバリバリに。瞬きすると目が引っ付くように感じました。
摩周湖YHから弟子屈駅まで約5kmを歩いて、ここからは3日ぶりの国鉄乗車釧網本線で網走方面を目指します。
網走駅に到着。

昨年網走駅訪問しましたが、駅舎は建て替えられて雰囲気が大きく変わっていました。
網走駅の入場券。

2月8日~11日の4日間は網走駅周辺で「第10回オホーツク流氷まつり」をやっていました。その会場で氷の像などを見て、網走港周辺で遊んだようです。
そして再び釧網本線で浜小清水まで戻り、宿泊は「中山記念小清水YH」でした。

2月12日(水)
この日は一日網走近辺で過ごしました。
駅では機関区へ行ってSLを撮ったり、網走駅で列車を撮ったりしていたようです。
この辺りの写真はすべて再掲載です。ご了承下さい。
何度も紹介していますが、JNR後藤デフのC5833を撮ったのもこの時でした。

この前年に釧網線からC58は引退していました。
釧路区所属だったC5833はこの当時は北見区の所属になっていたようです。この当時はまだ石北本線では「大雪くずれ」で有名だった1527レがC58牽引で残っており、それらを牽引していたのでしょう。私はこの当時それ程SLには興味がなく、撮影には行っていません。今ではなんとも惜しいことをしたと思っております。
C58119も構内で

半円形の「つらら切り」が目立ちます。
この罐もC5833とともに釧網線の無煙化で釧路区から北見区へ配置換え。この当時は北見区所属でした。
C58119の最終運行がは無煙化前最終列車として、急行大雪になる1528レの網走~北見間牽引して有終の美を飾ったそうです。その後北見市に静態保存されました。
網走駅ではキハ22の雪を落とす姿に北国の厳しさを感じました。

キハ82「特急オホーツク」

今でも札幌~網走間の特急ですが、当時の特急は函館と各地を結ぶのが基本。
そんな中で唯一、札幌~網走間の特急でした。
この日は網走刑務所~天都山などを登り、「中山記念小清水YH」に連泊しています。

2月13日からの紹介は、3へ続きます。よろしくお願いいたします。