【MY旅客機ライブラリー】羽田空港変遷とJAL機 | cavacho☆彡“きゃばちょこ”です。

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 9月6日に羽田で飛行機を撮影しましたが、ここで飛行機を撮ったのは、1977年(昭和52年)以来で実に37年ぶりの事です。
 その間の羽田空港の変化には、目を見張るものがあります。
 
 これを機会に私のライブラリーにある羽田空港の写真を紹介し、羽田空港と日本航空(JAL) 機の変遷を見て行く事にしました。
 
 1、この写真は今から52年前の1962年(昭和37年)4月の羽田空港です。
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 駐機中の飛行機は手前が日本航空のダグラスDC-7Cです。この飛行機はターボコンパウンドエンジンプロペラ4発の国際線の機材です。
 奥にルフトハンザのボーイング707が見えます。
 
 広々していて、現在の羽田空港の半分以下の広さしかなかったのがウソのようです。
 
 私が小学1年生の1962年4月に母が上京。東京観光に同行した東京の叔父に「私の土産にしたいから」として撮ってもらった写真でした。それが今でも私のアルバムに保存されています。
 この写真と共にブリキの飛行機がお土産だった事を覚えています。
 
 2、前の展望デッキから撮った写真です。
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 手前から
 日本航空ダグラスDC-4・浅間 
 日本航空ダグラスDC-7C(City of San Franciscoとも読めますが定かではありません)
 DC-7Cの機首部分に社章が見えますが、この旧社章の時代はDC-7Cはまだ国際線に使っていた時代との事です。その後、国内線へ転用、社章部分は鶴丸に変更されました。1962年当時のDC-7Cは国際線の機材だったんですね。
 
 DC-6とDC-7の区別ですが、資料などによりますと、社章下の窓が前者は2枚、後者は3枚です。この機体は3枚窓ですのでDC-7Cです。
 でもDC-7Cはわずか5機しか導入されなかったので大変貴重な写真です。
 
 ルフトハンザ機の向こうに日本航空のDC-8の垂直尾翼が見えます。
 この頃は1960年に導入が始まったDC-8とDC7Cが共存していた時代です。
 
 
 
 時代は移って15年後、1977年(昭和52年)の羽田空港です。
 私は大学3年生になっていました。
 
 この時代の日本航空の主力機はボーイング747(ジャンボジェット)ですが、まだまだ多くのDC-8が活躍していました。しかもジャンボジェットよりも胴体が長いDC-8-61型が国内線を飛んでいました。
 日本航空は当時、国際線が主力で、国内線は札幌ー東京ー大阪ー福岡ー沖縄線の幹線みの就航でした。その為に機材はすべて大型機ばかり。ボーイング747、ダグラスDC-10、ダグラスDC-8で運行されていました。
 
 3、B滑走路から飛び立つ、ダグラスDC-8-61。
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 ※ついでにDC-8の機内の様子も紹介します。(1977年6月2日大阪行101便)
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 片側3列のナローボディー機です。スチュワーデスさんの制服が懐かしいです。
当時はミニスカートのユニフォームでした。
 
 ※当日使った搭乗券です。
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 4、当時の日本航空の国内線はボーイング747ジャンボSR。
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 成田開港前の当時はA滑走路を駐機場にB・C滑走路で離着陸。この写真はタキシングと離陸の両ジャンボが収まった、お気に入りの写真です。
 当時はB滑走路は横風用ですので、実質はC滑走路1本で国内線と国際線をさばいており、羽田は満杯状態でした。
 
 
 そして現代!
 
 1977年以来、37年ぶりの羽田は空港も機材も大きく様変わりしていました。
 
 5、ボーイング767・one world塗装ボーイング767
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 私が最近の機材で乗った経験のある大型機はこのB767だけです。
 
 6、近代的な管制塔とボーイング767
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 機体も美しいですが管制塔もスマートです。
 
 7、そしてジャンボに変わった超大型機はボーイング777です。
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 陽炎の影響で少しピントが甘くなってしまいましたが、大きさは十分実感できます。
 
 
 本日は37年ぶりの羽田空港訪問を機会に、
私のライブラリから「羽田空港の変遷とJALの変遷」でした。
 
 最後までご覧いただきありがとうございました。