阪神・淡路大震災をふりかえって(2)
ぼくは阪神・淡路大震災が発生した時は、被災地から離れた堺で親と同居していたが、翌月に被災地の尼崎市立花のワンルームマンションに住む契約をしていた。
まだ、建築途中の新築物件で、不動産業者はある大手業者。
震災発生当時は、建物の被害状況がわからず、不動産屋もこんな状況なので契約通り入居できるかわからないし、場合によっては契約をキャンセルしてもらわねばならないが、どうか事情を察してほしいと平身低頭だった。
しかし、工期が若干伸びるものの、契約通り入居できることが判明すると、不動産屋の態度は一変、キャンセルには応じられないと強硬姿勢に出た。自分たちの都合は察してほしいが、お客さまの都合は察することができないという身勝手さにこの会社の本質を見た気がする。
(ちなみにこの不動産業者は、大阪の支店長がヤクザなNPOと手を組み、近隣住民からの苦情でうつ病を患ったという虚偽の診断書を医師に作成させて、大阪市から生活保護を搾取して、転居物件をあっせんして自身やNPOと利益を分け合っていた詐欺罪で昨年逮捕される事件を起こしている。きっとそういう企業風土なのだ。)
当初の予定ではぼくは2月から神戸で仕事をすることになっていたが、鉄道も通っていないので異動は半年後に延期された。
しかし、不動産屋の対応はともかく、震災で倒壊したりして、不動産価格が高騰したり希少になる気配があったので、予定通り、2月から被災地の尼崎で一人暮らしをスタートさせた。
尼崎の立花は、古い文化住宅が全壊して亡くなった方がかなり出た地域だが、ぼくのマンションは駅前だったし、震災から約1ケ月たってがれきも運び出され、あちこちの家の屋根にブルーシートがかぶせられているほかは震災の爪あとはすでにあまり感じられなかった。
人情あふれる古い下町で、大阪のオカン的な方やお年寄りが多く、とても気さくないい街だったといういい印象のほうが強い。
むしろ半年後に三宮の勤務になった時のほうが震災の生々しさが伝わった。
奇跡的に被害がほとんどなかった会社の高層ビルから周りを眺めると、中心部のあちこちが更地のままで、痛々しかった。
あれから16年たち、更地もすっかりなくなった。
大切な人や積み上げてきたものを失ったりした人の内面はともかく、表向きはすっかり復興した。