1月13日は実家の父ちゃんの誕生日。
今年は年男に当たる。
そして今年の誕生日を以て父ちゃんは運転免許証を返納した。
1年ほど前から誕生日を迎えたら返納しようと決めていたようで、自分が聞いたのは半年ほど前のことだった。
父ちゃんがいつ運転免許証を取得したのかは知らないけれど、自分が5,6歳の時に初めて我が家に「マイカー」がやってきたのは覚えている。
それはトヨタ マークII(2代目)。
この頃はコロナ マークIIだったように思う(記憶違いかな?)
↑色も形もコレだった。
母ちゃんのお兄さんが乗っていた車を譲り受けたものだったと聞いた。
中古車ながら、当時としては上級グレードだったようで、8トラックのカセットデッキなど装備は充実していた。
もちろんシフトはAT(ノークラッチってやつね)。
この車で色々連れて行ってもらったと思うんだけど、記憶にあるのは母方の田舎(実家)に行くシーンばかり。
当時の法規では問題なかったのか、姉と2人で助手席に座るのが楽しかった。
それからしばらくして2人ではキツくなって、助手席の奪い合いになったりもした。
子供心に「助手」席に座って運転する父ちゃんをサポートすることが誇らしかったのだと思う。
中古車ということもあって程度はそれなりだったようで、富士山の五合目で動かなくなってしまったこともあった。
その時は何とか再始動してくれたものの、帰りの高速道路でもあまり調子が良くなく、助手席でマークIIに『がんばれー!』と声援を送っていた思い出も。
そして続いてやってきたのは、日産サニー(4代目)。
↑確かこの形。ボディカラーは生成りのようなホワイトだった。
マークIIから比べると車格が落ちるぶんグレードダウン感があり、子供心に後席は狭く感じ、内装も安っぽかった。
今思えば、当時はまだ姉も自分も小さかったし、車にばかりお金はかけられなかったんだろうな。
父ちゃん曰く「サニーより上級車の中〜下のグレードを買うより、サニーの最上級グレードを買う方がいい」とのことだった。
当時はこの言葉に『なるほど』と変に納得したものだった。
小さい車ながら、この車で父ちゃんはいろんな所に連れて行ってくれた。
北は小岩井牧場から西は鳥羽水族館、石川県のなぎさドライブウェイにも行った。
サニーには毎夏の家族旅行の思い出が重なる。
オーディオがカセットテープになったことで、お気に入りの音楽を聴きながらドライブする楽しさを存分に味わえた。
そしてマニュアルシフトを流暢に操る父ちゃんはイカしていた。
そんなサニーとお別れすることになったのは、姉が運転免許を取ったから。
姉が「マニュアル車はムリ」と言ったことで、父ちゃんはマークII以来のAT車への買い替えを決めたのだ。
この時まだ自分は免許を取れる年齢ではなかったものの、父ちゃんと一緒に車選びをした。
友だちの知識の受け売りもあって、トヨタ カリーナEDを強く推した。
後で知ったことだけど、この車は当時世界で一番車高の低い4ドア車で、クーペスタイルが受けて大ヒットしていた。
自分にもカッコよく見えたのだと思う。
父ちゃんも実車を見て気に入ったようで、カリーナEDは我が家の車になった。
父ちゃんの思いも虚しく、納車から2週間もしない内に姉が左ドアを2枚とも凹ませてしまったのも今となってはいい・・・にはならないか。
そしてカリーナEDは自分が免許証を取得して初めてハンドルを握った車となる。
これはずいぶん前にこのブログにも貼った写真。
(写真をスマホで撮影したもの)
X LIMITED っていう、スポーツエンジン搭載車ではないけどそれに準じた外装で、モールのラインがゴールドだったことでソアラみたいなエレガントさも醸すなんちゃってグレードだった。
写真が不鮮明でわかりづらいけど、ライトと連動して光るリアの"ED"の文字が好きだった。
※ちなみに"ED"、今でこそ残念な響きのする単語だけどExciting Dressyの略語だったりする。
姉はドアの一件があったせいか、その後はまったくこの車に乗らなくなってしまった。
その代わりに自分が乗るようになり、調子に乗って借り出してはあちこちドライブさせてもらった。
父ちゃんとしては息子とは言え初心者に貸すのは気が気でなかったかもしれない。
それでも「貸してやるから乗ってこい」「乗らないと上手くならないぞ」なんて言ってくれたりする優しさ(度量?)はあった。
家族で出かける時は専ら自分がハンドルを握るようになったのはこの頃から。
父ちゃんも自分で運転しなくていい(車内で眠れる)快適さに気付いたのかもしれない。
ドライブスタイルは変わっても家族で出かけることは多く、カリーナEDも思い出深い一台になった。
息子も成人して子育ても終わり、自宅も建て直した父ちゃんはいよいよ自分のための車選びの時代に突入した。
大きくて快適な車が欲しくなったようだ。
でもそこは昭和の男、車はセダン一択。
色々検討して一緒にショールームにも行ったけど、自分の職場の同期の先輩が日産に勤めていた縁(←もはや縁ではない)もあって、決めたのは日産 グロリア。
それもグランツーリスモ。
写真は最上級グレードのultimaだけど、父ちゃんが買ったのはノンターボ。
でも我が家の車のエンジンもついに3Lになった。
色はダークグリーンで、写真と同じBBSホイールとIMPULだかAUTECHだかのエアロパーツを装着した。
いま思うとかなり強面な車であった。
でもバブル期の車であり、車内の広さと快適装備は最高だった。
個人的にはCDプレーヤーがとても嬉しかった。
そしてどっしりとしたドライブフィールが大好きだった。
この頃はもう姉も結婚して家を出ており、家族での外出は父母と息子の3人になった。
そして自分があまりにも「自由に」借り出したので、父ちゃんとケンカになって鍵を隠されたのも今ではいい、、、思い出だな、これは。
父ちゃんも気に入っていたようだけど、もう少し落ち着いた車が欲しかったらしく、車検を経て同じグロリアながらブロアムに乗り換えた。
↑写真は中古車サイトから拝借。まさにこの色。
プライムエディションというツートンカラーの特別仕様で、エンジンはグランツーリスモの3.0L から2.5L になった。
新型になったにも関わらず、バブル崩壊後の車だけにそこはかとなくコストカットが感じられる車だった。
おっさん臭さが増したこと、そしてこの頃は自分でも車を持っていたのでこのグロリアはあまり運転しなかった。
家族のお出かけも自分の車(カローラ スパシオ)を使うことが多く、主に父ちゃんと母ちゃんのドライブがメインだった。
このグロリアはなぜか母ちゃんにも不評で「大きいだけで燃費も悪いし、もっと小さい車にすればいいのに。」と事あるごとに文句を言われていた。
父ちゃんがそれに納得したのかしなかったのかは不明だけど、初回車検を待たずに買い替えとなってしまった。
ちなみにこのグロリアだけはなぜか写真が一枚も残っていない。
それほどまでに興味の薄い車だったのかもしれない。
この買い替えに際して、自分が勧めたのはVWのボーラだった。
父ちゃんも興味は示したものの輸入車に手を出すことはなかった。
そして父ちゃんが1人で決めてきたのがスバルの車。
レガシィB4 RSK だった。
まさか父ちゃんがツインターボの車を買うなんて。
とてもビックリした記憶がある。
父ちゃん曰く「以前からスバルに乗ってみたかった」んだそうで。
しかしこんなに走りに振った車を買うとは。
確かに小さくなったけど、燃費は悪い。
でもこんな車を買ってきた父ちゃんをちょっとカッコよく思った。
カーステレオは純正オプションのMacintoshを装着、CD+MDとなり、我が家はこの車のためにMDコンポを買った。
父ちゃんはいつの間にかカーナビを付けてたりして、かなりカーライフを満喫しているように見えた。
ホントに車好きなんだな、と思って見てた。
この車はとても楽しくてたまに借りることもあったけど、いかんせん速過ぎた。
ハンドルの軽さもあって、運転していてちょっと怖かった。
それでも父ちゃんはかなり気に入っていたようで、一番長く所有していた愛車となった。
(7年くらい乗ってたような)
ここから先の買い替えはちょっと自分が振り回し過ぎたかも。
レガシィがいい加減やれてきて、いよいよ燃費も悪く感じられてきたことで買い替えることになり、当時自分がお世話になっていたフォードを紹介したことで、フォード フォーカス(2代目)になった。
↑まさにこの色。
父ちゃん初の輸入車。
特に不満はなかったようだけど、あまり思い入れもなかったように見え、もっと他に欲しい車があったのかなーと思ったりもした。
そして父ちゃんは平日は駐車場に置きっぱなしの息子の車(当時はフォード モンデオワゴン)があることが何だか無駄に思えてきたようだった。
この頃は父ちゃんもリタイアして平日に車に乗るようになっており、休日に車を息子に貸すことにまったく問題はなかった。
そこで父ちゃんから出た提案が「お前の好きな車にしていいから、2台を1台にしよう」だった。
この時、まだモンデオワゴンが気に入っていた自分にはちょっと悩ましい提案だったけど、確かに無駄ではあったのでその提案に乗った。
そしてフォーカスとモンデオワゴンはVW ゴルフⅤ GTI になった。
その後に自分がゴルフⅥ GTIに買い替えて、結婚を機に家を出たことで父ちゃんにGTIを預かってもらうようになった。
※自分は相棒との愛車(下駄がわり)にスズキ スプラッシュを買った。
しばらくして父ちゃんと母ちゃんから「GTIは年寄りには大き過ぎる!」との意見が出始めて、悩んだ末にGTI は UP! になり、相棒と自分で使うことになった。
そして入れ替わりにスプラッシュが父ちゃんの足になった。
さらに自分がスプラッシュをフィアット パンダに買い替えたことで、UP! が父ちゃんの足に。
(小さい車を交換し合う親子)
そしてUP!が父ちゃんにとって「上がり」の車となったのだった。
乗りづらい車だったと思うけど、いつも「いい車だよ」「いい車を貸してもらって」と感謝を口にしてくれた。
これが父ちゃんの愛車遍歴。
どの車もいつも洗車されてピカピカになっており、自分の洗車好きは小さい頃から父ちゃんが休日に車を洗う姿を見ていたからだと思っている。
父ちゃんの運転でいろんな所に連れて行ってもらったし、あちこち送り迎えしてもらった。
東日本大震災の翌日に、かろうじて動き始めた電車を乗り継いで自宅からかなり離れた駅に辿り着いた時に迎えにきてくれたのも父ちゃんだった。
もう感謝しかない。
そして父ちゃんを一番尊敬するのは、一度も警察の世話になったことがないこと。
あれだけ車に乗りまくって生涯無違反なんて、優良ドライバーすぎる!
そして世間で高齢ドライバーのリスクが叫ばれる中、自らハンドルを握るのをやめたことを本当に尊敬している。
去年の11月、父ちゃんの運転するUP!をピカソで追走したことがあって、楽しく思いながらもちょっと心配しながら眺めていたのも事実。
昨年末に我が家に来た時が実質最後のドライブになったわけだ。
あんなに車が好きだった父ちゃんが運転しなくなるのはちょっと寂しいけどね。
これまで本当にお疲れさま。
そしてこれまで家族をいろんな所に連れて行ってくれてありがと。
ちょっと不便になるかもしれないけど、これからは息子がどこへでも連れて行くよー。