前回の記事で


昔々に神が人に授けたもの=普遍性

仕事でやる音楽=普遍性をもつ表現


→その昔、神が授けたとされる音楽と

現代で仕事でなされる音楽とは

似た性質を持つはずよ、


と書きました。


さて、


人間は

自分の拠り所になるような

正しさを求めるものらしく。


歴史の中で

宗教の求心力が与えるとともに台頭した

科学というものも

普遍性を追求するものなんですね。


さて、ここで

言葉を確認したいと思います。



科学というものでは

考える作業とは

きちんと現実に向き合うことを指しまして、


意外なことに

頭脳をあまり信頼しないです。


頭は間違える前提で、

手足を動かして

頭が間違えないよう現実を確認することを

必ず前提としてます。


そのうえで、


ぱっと見では

全然共通点のないものたちと

よくよく向き合った結果

何かの共通の法則を見つけることを

「理解」と呼びます。


きちんと現実と向き合った結果が

「正し」くて

頭の中だけにあるものへ逃げた結果が

「間違い」です。



こつやって

科学で使われる単語を確認すると


特に演奏というものは

なかなかの「科学的な行為」に

なるわけです。


たとえば


音を鳴らして

イメージの中の音ではなく

実際になった音を聞いて

頭のイメージを修正することも、


自分と

自分ではない誰かとの

共通項で語れる音楽を探すことも、


自分がすでに好きになってる曲と

似た要素を見つけて

興味を広げら作業も、


練習と上達のつながりを

探すことも。


とても「科学的な行為」であり、


科学というのは

普遍性を探すためのノウハウなので


結果的に

普遍性を求めてしまう、


そのように言えるわけですね。