カミーノ4日目。Pamplona~Puente La Reina
パンプローナのアルベルゲのベッドで、朝目覚めると体はもう活力に満ちていた。
昨日潰した足の水ぶくれも、もう皮膚が乾いて大丈夫そうだ。
私はもう歩き始めたくてうずうずしていた。
前夜に考えていた、もう1日パンプローナにとどまって観光をするというプランは魅力を失って、それよりも新しい景色を見ながら歩きたいと思った。
重厚な木のドアが開け放されていた。
巡礼者たちは、その教会だった建物で疲れを癒やされて出立して行くのだった。
早朝に街や村を出てゆくのは、いかにも旅立ちという気がする。
まだ深い青い空。まだついている街灯の灯り。
澄んだ冷たい空気。そんな中を歩き始めるのは清々しかった。
↑いろんなところで見かけたテンプル騎士団のイメージ。
巡礼者を警護していたらしい。
素敵な窓の装飾。真っ白いカーテンも素敵で、私はスペインを出る時にカーテンを買って帰ろうと思った(買わなかったけど)
魅力的なパンプローナの街をもっと隅々まで楽しみたい気持ちもない訳ではないけれど、また別の時にパンプローナを訪れようと思った。
旧市街を出て、もっと近代的な街並みを歩いていたら、どうやら道をそれてしまっていたようで、仕事に向かう途中という感じのスーツ姿の人が、巡礼の道はここじゃないよ。
あそこの道に戻って、右に曲がって、、、と教えてくれた。
私は、結構ぼんやりしている上に思い込みが強いので、道から外れたりするのは、ほぼ毎日のことだった。
途中からインターネットが使えるようになったものの、最初の3、4日。インターネットも地図も使わず、よく毎日目的地に辿り着いていたものだと思う。
カミーノの黄色い矢印のおかげとしか言いようがない。
さて、そのうちに街から離れると延々と続く菜の花畑の黄色とその向こうの雪の残る山の景色が広がった。
青空と麦畑や菜の花畑をさざなみのように揺らす風を見ながら歩いた。
なぜだかとても幸せで満ち足りた気持ちだった。
そのうちに道は段々と登りになっていった。
少し汗ばんで、喉が渇いたので、たどり着いた村の教会の庭で休憩をとった。
そのあと少し進むと小さな店と飲料水のフォンタナがあり、サン・ジャンで同室だったトビアスが店で買った林檎を洗っているところだった。
わあ。どうしてた?と再会を喜び、2人で歩き出した。
彼は、礼儀正しくて、穏やかで、そこはかとないユーモアがあった。
少しずつ、お互いの話をした。
彼の趣味はマウンテンバイク、そしてコーラスグループに入っているということだった。
コーラスでは何を歌うのか聞いたら、なんと80年台のロックの曲だった。
ボヘミアンラプソディ。だとか、ToToの曲だとか。仕方がないんだ、リーダーがその年代の人だからね。と彼は言った。
そして、クリスマスシーズンにはクリスマスマーケットでクリスマスキャロルを歌うのだそうだ。
いつか、ドイツのクリスマスマーケットで歌うトビアスを見かけたら愉快だろうな。と思った。
上り坂を息を切らせながら、私たちは話をして歩き、山頂にたどり着いた。
山頂には巡礼者のモニュメントがあって、みんな写真を撮っていた。
私たちもお互いの写真を撮りあった。
白い巨大な風車が立つ山頂からは大きな石がゴロゴロする下り坂が続いた。
膝や足を痛めないように、気をつけて歩いた。
この後数日、この下りの道で足や膝を痛めたという話を何度も聞いた。
休みの日をとったり、バスに乗って次の目的地まで行ったり、荷物だけ先に送るサービスを利用したりということをする人が出てきたのもその辺りだ。
あと7キロほど残したところに、バルrがあったので休憩することにした。
私はトルティーヤ・デ・パタタス(じゃがいも入りのスパニッシュオムレツ)とアクアコンガス(スパークリングウォーター)を注文した。
トビアスと、彼の友達のフランス人はコーヒーを頼んだ。
外のテラスに座り、午後の日差しの下でくつろぐ時間はとても気持ちがよく、次々に知った顔がやってきて賑やかになった。
トビアスは、カミーノを歩くのは初めてではないと言っていた。
サント・ドミンゴの教会には、鶏が教会の中にいるんだよ。と、なぜ鶏が教会にいるのかという由来を話してくれて、その鶏の羽が宙に舞って、それを拾えた人はすごくラッキーなんだって。と教えてくれた。ちなみに彼は羽を拾えなかったそうだ。
山道で足がすでに疲れていたので、残りの7キロはきつかった。
でも、トビアスと話しながらだったので、痛みに気持ちを集中せずにすんで助かった。
カミーノ3日目のズビリからパンプローナの歩数は41,658歩。
この4日目のパンプローナからプエンタ・デ・レイナの歩数は47,803歩だった。