そういうことじゃないんだと思う。 | TOMTOM日誌

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シンガーソングライター♪本庄冬武のオープン日誌( ゚∀゚)




こんなこと暴露るのは、もうおれが恥だな、とも思うから胸のうちにとどめておこうと思ったんだけど、思うとこあって、やっぱ、此処に公開しとく。

生前の父親ネタ。曰く、ギョーカイ人が集まるパーティーかなんかで、玉置浩二氏に出会ったときに、「『音楽なんて無駄だ』って言ってやったんだ」ってのが彼の自慢だった。「そしたら『どういう意味ですか?』って、あいつ、キレてやんのー」云々とも言ってた。

吉田拓郎氏、はては渡さん(高田渡)と喧嘩になったことがある、殴ってやったことがある。で、曰く「全然、よえーでやんの」云々、とも言ってた。

ぶっちゃけ全部うそだと思う。彼をフルボコしたおれだからわかる(´^ω^`)ブフォwww

かつて実家があった頃、ある日、テレビでMTVのCM映像が流れたとき、こんなの十年前には俺が思いついてた!企画提案したら周囲から反対された!俺は(時代が)早すぎた!云々、なんか、唐突に力説しはじめた記憶がある。

当時は子供だったから、あーそうなんだ程度にしか思わなかったけど、今思うのは、だから、なんなんだ。って思う。

まず、言えることは、人間の思いつくことなんて、大なり小なり、古今東西、たかが知れてるってことだ。奇抜と思うことだって、所詮はなにかの焼き回しとすら考えていい。むしろ、共有できることが共感をおぼえる時点で、その発想は、全ての人が思いつく範疇に有るのだ。

あとは早い者勝ちか、二番煎じだとしても不屈の実行力で、それを実現させるかにかかっているのだ。そして、ときに、早い者勝ちだとしても、それが日の目を見ないうちに、二番煎じの方が、煌々と光り輝く、なんてこともよくある話だ。とくに芸術の世界のなかで、そんな悔しさに、拳を握りしめ耐えている芸術家も多いんじゃなかろうか。

それでも主張をするならば、あくまで文化的な表現であることが、クリエイティブを志す者のあるべき姿なんでないかね。

もう皆まで話しませんが、







こういうジャケットデザインに踏み切った理由も、言わば、俺が覚えた「憤り」を作品に結実させたと自負しております。おれは、こういったことが「正解」だと思ってる。否、思えるようになった、かな。






この作品、実は、例の京アニ放火殺人事件のせいで、美術監督の方が、実際、亡くなってるし、当時、作品公開自体も危ぶまれたらしい。
で、犯人の動機、確か、「自分の作品、パクられた」だろ?で、いて、実際、執筆活動なんてなんもしてなかったんだろ?てめーはうちの親父かよ。



まあ、まだ、この冒頭部分しか観れてないんだけどさ。もはや、名作であることは間違いないよね。逆境にめげず、公開まで踏み切った制作陣には深いリスペクト。そして、おれは、自分のなかにある、両親の「狭量DNA」をひとつ残らず駆逐することを、改めて此処に深く誓う!