その本からなにを学んだのかは怪しいけれど、実家があった頃、タバコと酒の匂いうずまくなか、うずたかくして、そこここにあったのは、PLAYBOYなどもまぎれつつの、純文学、時にエログロも包括した、文庫本、カバー本の、親、特に父親のものだろうと思われるコレクションのヤマでした。
家にいてもなにもおもしろくもないおれが、なにげなくそれらを手にすると夢中になっていったのは、自然の流れだったのかもしれません(PLAYBOY含めて)。
そして、あれ、ちょっと一部のクラスメートのなかで流行りみたくなってったと思うんだけど、みんな各自がストーリーを書いて、見せ合うみたいな遊びがはじまって、それも大学ノートだったものから、自然と原稿用紙に、本格的になってったと記憶してます。
おれは、自分の頭のなかにひろがる世界を、そしてその世界のなかで活き、躍る、登場人物たちを、描いていくことに夢中となっていって、将来は小説家になるんだ!なんて夢をふくらましたものでした。
生前の当時の母親は、亡き祖母に会うと、「お小遣いが全部、原稿用紙に消えてくんですよー」なんて愛想笑いを浮かべてたそうです。
そもそも、僕、お小遣いなんてもらったことないんですけどね。
ましてや、そんなわけでくそせまいカビだらけの自室の机で原稿用紙に向かっていると、
「そういう無駄なことはしないでって言ってるでしょ?お母さんに見栄をはらすために勉強をしなさいって言ってるでしょ?ママ(祖母)にはああいってるけどね!本当はあんたには頭きてんだからね!」みたいなことを言われ、夜中に酔っ払って帰ってきた父親は、母親からそういった類の小言を聞こうものなら、怒号とともに我が部屋を侵略し、叩き起されたと思ったら朝まで殴られ、そんな後ろで「がんばれー。もっとやれー」なんて、母親はブランデー片手に楽しげに応援してました。
それと、あれは、よっぽど会社にいきたくなかった八つ当たりだったのではないかと推測するのですが、ある日の休日、それでも自室の机で原稿用紙に向かっていると、ちょうど、自室が玄関に隣接する特徴だったこともあり、こちらを覗き込んできては、
「うわー。字は汚いし。おもしろくなさそうだなー」
と、一言そんなふうなことをわざわざ言い残して、父親は出社していったものです。昼過ぎに。
自ずと、おれの執筆場所は、学校の教室で、休憩時間や、授業中、そして給食の時間を使用するものとなっていったと記憶してます。
で、相互作用だったのか、素地があったのかは記憶が前後するんですが、国語の時間に書いた作文や詩の類が、なんか代表?みたいのに選ばれて、今でも何年か分の「練馬の子ら」って区の児童雑誌?には、僕の書いたものが何点か載ってるので、機会がありましたら、どうぞ(って、どんな機会や(´^ω^`)ブフォwww)
ま、その後、音楽にのめりこんでいく過程で、このクソ両親にはギターも捨てられましたが(´^ω^`)ブフォwww、いづれにせよ、小説家トムは思春期の一歩手前で終わったもの、となっていたんですよね。
どんな形であれ、10歳、11歳とかで完結までもってったのも、大したもんだと思うんだけど、作品諸々の原稿も親には捨てられましたし、そもそも長いブランクです。
それでも。先ずは飲み仲間で、当時、おれの書く「Evangelion Another Impact Vol.2」がおもしろいと言ってくれてた人との酒の席で、「エヴァンゲリオンと、おれが小学校の時に書いてた小説の世界をくっつける」という構想が閃き、もともと用意してた着地点すら書き換えれば、それはいよいよ二次創作という枠をこえたものへとなっていき、(大丈夫か汗)とは思いつつも、それでも自分が思い描いていた着地点に伝えたいメッセージとともに達したときは、(できた……!)と眼は見開き、ただ、もう、完全オリジナルは無理だろうと思ってたんです。理由としてこの時、思ってたのは、「(書くには)歳をとりすぎた」でした。
ただ、ダメ元でやってみよう、と。ダメならダメでいいじゃないか。と。なんでかというと構想は確かにあったのです。これを形にしてみたい。その欲求は堪えるには耐え難く、自分流のエヴァを終わらした僕は、いよいよ完全オリジナルの世界へと向かっていくのです。
非公開で黙々とパソコン画面に向かっていった結果、二年前の明日、とある実体験(とのさんのネットラジオ番組のアーカイブ参照)と自伝も兼ねた、少しミステリー、ミステリアスな世界観も含んだ現代ファンタジー「二つの月」は完結しました。そのときの(できた……!)って感覚は、やっぱり眼は見開いたものだったと記憶してます。
そして、さて、せっかくできたのだから、少しでも多くの人に見てもらいたいな、なんて思ってネットの間をさまよっていったら、僕は、小説投稿サイトと呼ばれる世界といよいよ出会っていくのです。
その時の僕は、(オリジナルだとこんなに可能性が広がるのか!)という、冒険を目の前にした、あの日の少年のままでした。
さて、そんなまだまだ短い活動歴なのですが、