レストラン - Restaurant
元々はフランス語のrestaurer 英語に直すと restore
=回復する
つまり
レストランとは回復する場所
多くの場合、レストランは都会にあり、
それは都市での生活が、回復することが必要な不健康な状態である、という暗黙の認識がある。
レストランに行くことで、明日への鋭気を養おうという意味合いが含まれた単語なのです。
人は前提をもとに生活を営み、
構築されたものに向かい、歩んでゆく。
だから、
増え続ける既存のレストランの体系をそうあるものと前提として認識し、その中の枠組み、システムに向かい歩み続ける。でも今あるレストランの姿は、その単語が作り上げられたときのニュアンスを継承しているのだろうか?そんなことを今日、ふと疑問に思った。
今あるレストラン、自分が向かおうとしている場所は、
本当に皆が欲しいと思っているところなのだろうか?
明日への鋭気を養える場所なのだろうか?
都市の生活は、日々より便利になっている。
でも、それが健康的な営みかどうかということは異なる次元の話だと思う。
楽なこと≠健康なこと
健康であることには、ある程度の負荷は必要であり、
それによって促進された代謝が人を健康へと導いていく、そう思う。
De-construction(脱構築主義)という哲学上の概念がある。
1960年代Jacques Derrida(ジャック デリダ)によって提唱されたものだが、
建築を学んでいる時、好んでこの概念を引用した。
それは今ある定義された空間、例えばキッチン、リビング、待合室などなど、
それらは、なければならないものとして空間の中にパズルのピースのように当てはめられていくが、
都市空間が変われば、形、存在意義を変えなければならないものも多々あるはず。
そんな直感的な想いがあった。
今、レストランを考える。
食事、食空間が人に元気を与えるという考えは疑いようもない。
皆が皆、料理をつくることに適正があるわけでもなく、
そうした適正がなくても、美味しいものを口にしたいという思いはあるはず。
一度立ち止まって静かに思いを廻らしたい。
都市での生活で、
誰かに料理を作ってもらい、それを口にする。
そして明日への鋭気を養えるそんな場所。
そこには、もはや本来の意味とは異なるところへ行ってしまったレストランという単語が必要のない場所なのかも知れない。
皆が皆、欲しい空間を手に入れることができるわけではない。
何千万ものお金を動かせる人は多くはない。
建築家の皆が皆、想い描く空間を造り上げられるわけではない。
そこにはいろんな方向から大きな制約がかかる。
皆を満足させることの出来る絶対的に素晴らしい空間というものもないけれど、
小さな誰かの理想郷を、いいと思ってくれる人が集い、少しずつのお金で共有する。
他人の場所に意味もなく押し掛けることは気が引けるから、
食事という大きな理由が必要。
料理、空間どっちが先ってわけでもない。
でも、光に満ちた空間に笑顔がある。
はたまた、夜の暗闇にぽっと浮かびあがる暖かい光。
これが自分が目指す一つのレストランの姿。
9月初旬に向かうカリフォルニアにヒントがあるような気もする。
元々はフランス語のrestaurer 英語に直すと restore
=回復する
つまり
レストランとは回復する場所
多くの場合、レストランは都会にあり、
それは都市での生活が、回復することが必要な不健康な状態である、という暗黙の認識がある。
レストランに行くことで、明日への鋭気を養おうという意味合いが含まれた単語なのです。
人は前提をもとに生活を営み、
構築されたものに向かい、歩んでゆく。
だから、
増え続ける既存のレストランの体系をそうあるものと前提として認識し、その中の枠組み、システムに向かい歩み続ける。でも今あるレストランの姿は、その単語が作り上げられたときのニュアンスを継承しているのだろうか?そんなことを今日、ふと疑問に思った。
今あるレストラン、自分が向かおうとしている場所は、
本当に皆が欲しいと思っているところなのだろうか?
明日への鋭気を養える場所なのだろうか?
都市の生活は、日々より便利になっている。
でも、それが健康的な営みかどうかということは異なる次元の話だと思う。
楽なこと≠健康なこと
健康であることには、ある程度の負荷は必要であり、
それによって促進された代謝が人を健康へと導いていく、そう思う。
De-construction(脱構築主義)という哲学上の概念がある。
1960年代Jacques Derrida(ジャック デリダ)によって提唱されたものだが、
建築を学んでいる時、好んでこの概念を引用した。
それは今ある定義された空間、例えばキッチン、リビング、待合室などなど、
それらは、なければならないものとして空間の中にパズルのピースのように当てはめられていくが、
都市空間が変われば、形、存在意義を変えなければならないものも多々あるはず。
そんな直感的な想いがあった。
今、レストランを考える。
食事、食空間が人に元気を与えるという考えは疑いようもない。
皆が皆、料理をつくることに適正があるわけでもなく、
そうした適正がなくても、美味しいものを口にしたいという思いはあるはず。
一度立ち止まって静かに思いを廻らしたい。
都市での生活で、
誰かに料理を作ってもらい、それを口にする。
そして明日への鋭気を養えるそんな場所。
そこには、もはや本来の意味とは異なるところへ行ってしまったレストランという単語が必要のない場所なのかも知れない。
皆が皆、欲しい空間を手に入れることができるわけではない。
何千万ものお金を動かせる人は多くはない。
建築家の皆が皆、想い描く空間を造り上げられるわけではない。
そこにはいろんな方向から大きな制約がかかる。
皆を満足させることの出来る絶対的に素晴らしい空間というものもないけれど、
小さな誰かの理想郷を、いいと思ってくれる人が集い、少しずつのお金で共有する。
他人の場所に意味もなく押し掛けることは気が引けるから、
食事という大きな理由が必要。
料理、空間どっちが先ってわけでもない。
でも、光に満ちた空間に笑顔がある。
はたまた、夜の暗闇にぽっと浮かびあがる暖かい光。
これが自分が目指す一つのレストランの姿。
9月初旬に向かうカリフォルニアにヒントがあるような気もする。