忘れてはいけないこととは | 神戸エサレン Healing space La Ola 靑い草原 

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化学物質過敏症 心の情景 

阪神淡路大震災、私は27歳でした。

震災で亡くなった、たくさんのお知り合いのお顔を

今日のような日にしか

思い出さなくなったことを申し訳なく思います。

ああ、あの日を境に

全てのことが変わっていっています。

良くなっていることは、ひとつもありません。

「そんなことはないはず」とおっしゃるかた

おられるでしょうか。

 

美しかった淡路島にも

政治家と企業が企てた

お金儲け丸出しの醜い商業施設が

次々と今も建てられています。

 

明石海峡大橋が完成したために

生活破綻となった人々のことを想うと

胸が痛みます。

 

震災後、明石海峡大橋を通って

淡路島へ行ったことがあります。

 

震災前には栄えていたと思われる風情のある港町。

田舎風のショッピングセンターに

すっかり陣取られていました。

 

人気はまるでなく、薄暗くて寂しい感じで

奇妙なBGMが流れ

昼間なのにまるで亡霊たちが漂っているようでした。

 

近くの昔のままの古い大衆食堂は

お昼時にもかかわらず

広い店内はがらんとしていました。

 

お手頃価格の定食はこれでもかというほどの

新鮮な海の幸ずくしで

イカの刺し身が透き通っていて

とても美味しかったです。

 

ベテランのおかみさんが

熱いお茶をつぎにテーブルに来られた時、

 

「昔は船着き場からお客さんが大勢来てくれたけど

今は橋ができて船がなくなったんよ・・・・」

 

と悲しそうにおしゃっていたことを思い出します。

おかみさんは今、どうしておられるでしょう。

 

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当時兵庫県は

「すごい速さで見事に復興した」と注目されました。

高速道路が再建され、鉄道や駅も綺麗になっていく。

山が切り取られ、美しい自然の代わりに神戸空港ができた。

今はもう昔の神戸の姿はなくなった。

 

崩れた建物の下敷きになり生死をさまよう。

生き埋め状態からなんとか這い出した。

ふと見ると隣の人は死んでいた。

 

役所でり災証明を受け取り、自立支援金を握りしめる。

住むところはない、仕事場もなくなった。

心身ともに疲れ果てている。

家族をどうやって守っていけばいいのか。

仮設住宅で自ら命を絶つ人も多かった。

二重ローンを抱える人も多かった。

 

震災後、気苦労で亡くなった方はとても多く

私の知人のお父様も気苦労から

持病が悪化して亡くなりました。

 

そのような人々のことを

忘れてはいけないのです。

 

17/365 朝の舞子浜ウォーキング。

 

震災日の明石海峡大橋のイルミネーションは白色でした。