【社会】ジョン万次郎の物語 | 2025 中学受験に向けて

2025 中学受験に向けて

2024年1月現在・小学5年生の娘の中学受験までの学習、活動などを綴っていきたいと思います。SAPIX には新2年生から通塾中。

ジョン万次郎 の物語を読みました。


とてもおすすめです・・❗️


 ジョン万次郎とは・・

・土佐の漁民の子、9歳で父を亡くし、家族を支えるために漁に出て働いていた。
漂流:14歳で遭難。八丈島と小笠原諸島の間にある鳥島(伊豆諸島)に漂着。
・アメリカの捕鯨船に救助されるが、当時は鎖国中(1841)で日本に立ち寄ることができないためそのまま乗船、捕鯨船員として手伝いながらハワイへ。一緒に遭難した仲間はハワイで降りるが、万次郎を気に入った船長ウィリアム・ホイットフィールドはアメリカに連れて行きたいと万次郎に打診。万次郎もその意向があったので一緒にアメリカに行き、船長の養子となる。
渡米:アメリカでは、スクールに通って英語、数学、測量、航海術などを学ぶ。
捕鯨・ゴールドラッシュ:その後、捕鯨に出る(一度航海に出ると数年は戻らない)。捕鯨から戻った後、養父に日本行きを勧められ、そのための費用としてゴールドラッシュに沸くサンフランシスコで金を掘る仕事でお金を貯めることを勧められる。
帰国:費用を貯めた後はハワイ経由で元の仲間を拾って琉球経由で帰国。薩摩藩の取り調べを長い期間受けるが、ついに土佐に戻る。
黒船来航:アメリカの情報が欲しい幕府の要請を受けて江戸へ。幕府の直参として情報提供、英語指導、英語の通訳のサポートを行った。この頃から「中浜」の姓を名乗るようになる。
教育者の道へ:その後は開成学校(東大)で英語教授になる



偶然がいくつも重なっていたとはいえ、数奇な人生です。
万次郎を救助し、彼を養子にした船長も素晴らしい人だと思います。
彼が生きていくための教育や、アメリカや外国の情勢に目を向けさせてくれ、祖国に帰す手助けもしてくれた。
実際の史料に乏しいので、脚色もあると思いますが、ジョン万次郎の小説ではその辺りの人物像がよく描かれています。
(脚色されているとはいえ、万次郎自身が養父に対して多大な感謝の心を抱き、子孫代々交流を持ち続けているということから、事実に近いのでしょう。)


ところで、捕鯨船の船長が倭の国のサムライ(じゃなくて漁民だが)を拾って仲間に加えるって・・・
ワンピースの白髭とおでんの関係じゃん❗️
外国を見て回って、祖国に戻って開国のお手伝いをするって・・・完全におでんじゃん・・・‼️
(政治家の立場ではないけど。)
ワンピースの尾田先生が、実際に万次郎をおでんのモデルにしたかどうかは調べてもわかりませんでしたが、
ジョン万次郎の物語がモチーフになっているように思いました。











 - 「ONE PIECE 95巻」より




1人の数奇な人生の物語としても面白いのですが、歴史を勉強する上でも時代背景を感じるエピソードがたくさん登場します。
・1840年に漂流、51年に帰国 — 日本は鎖国していたが、海外では清がアヘン戦争をきっかけに列強の進出を許した頃。ペリー来航前、海外情勢が賑やかになっている時代。
異国船打払令薪水給与令など、アメリカの捕鯨船など、日本に近づく海外の船が増えていることや、外国の進出の脅威を想定した法令ができている。
・アメリカは捕鯨全盛期で、大西洋、太平洋に広く進出。鯨油を目的としていること、太平洋の補給基地が必要とされていることなども伺えます。
・西海岸は ゴールドラッシュ(1849)にも沸いていた。
・ハワイはまだ独立している。
・琉球は薩摩藩の管轄

本の物語は帰国し、取り調べが終わって土佐の実家に帰ったところで終わっています。



その後の話は Wiki などを参考に記載したものです。
歴史の表舞台では、時の政治家、役人が外交を展開していますが、英語や海外情勢に長けた人材が鎖国政権下では育ちません。
万次郎のような漂流民や、オランダとの外交から得た情報に詳しい人が幕府に情報提供したり、通訳のサポートをしていたようです。

ペリーとの交渉、前面に出たのは林復斎(林大学頭頭)という儒学者ですが、万次郎も通訳を助けています。
当時、外国語といえば蘭語が主流で、英語が使える人材は幕府側にはほとんどいなかったので。
万次郎、林復斎を抜擢したのは老中首座 阿部正弘。柔軟な人材登用に長けていました。
あの時代にどうやって英語での交渉を乗り切ったのかと思いましたが、こういう人たちが交渉を手助けしていました。
純粋に役人だけで乗り切ったわけではありません。
🔸1854年3月8日の横浜応接所での交渉、アメリカ大統領の親書の4つのポイント (上記の You Tube より)
・友好 — OK
・薪水、食料、石炭の供与 — OK 薪水給与令で対応可
・難破船と漂流民救助   — OK すでに行っている
・通商    —鎖国しているので承諾できないと回答
—> 林復斎(大学頭)とペリーの応酬の結果、ペリーは通商の要求を取り下げた通商を除外した日米和親条約を締結。


🔸通商を交渉のテーブルから外した林の交渉術
・ペリー:モリソン号事件を引き合いに出し、「漂流した日本人を助けた船を砲撃する日本は非人道的である。アメリカの介入による戦争で人道的な国に変える。
・林復斎:「日本は被人道的な国ではない。当時は異国船打払令が出ていたが今は薪水給与令が出ている。17年も前の事件を持ち出して戦争を始める方が非人道的だ。
・ペリー:「交易はお互いに有益だからやるべき。
・林復斎:「交易が有益である点は同意する。しかし、日本は国産品で満足できている。それに、あなたが日本に介入するのは人道的な理由からと言ったが、それには通称は関係ない。

薪水給与、難破船、漂流民救助は法的根拠があるから問題ないとする一方、「非人道的である」といったペリーの恫喝や「通商の要求」については気持ちいいほどロジカルに論破しています雰囲気や相手の顔色を伺って態度を変える人ならば、こういう結果にはなりません。見習ってもらいたいものです。
また、このような論理展開を正しく翻訳することができなければ、交渉者の意図が伝わらない可能性があると思います。
翻訳者、グッジョブ。