精歓なものもあれば粗いものもあった、ということである。
ダッカ?モスリンは、十七世紀に織り出されたもので、一ヤード平方で六○グレーンという極薄の繊細さであった。専門家によると、我が国で最も薄い織物といわれる軽目片羽二重でさえ、小巾物とすれば疋三十匁から四十匁ぐらいにはなるのに、このダッカ?モスリンは、小巾一疋に直すと、何と、総重量わすカ十久刃印替にしカならなレとし争つカさJしカに績細て達そカカ彪伺さ才そそしてこ区-功高に薄くしなやかなダッカ?モスリンは、人間技とは思えない精巧な仕上がりであったため、稀少価値があり極めて高価だったことは、当然想像されることである。従って、これを使用するのは王室のみであり、王室から諸外国への贈物にされた、と古い文書にもある、という。この「不思議な霧のような、或いは煙のような」モスリンの布地は、インダス河畔の菩提樹のほとりに、美しい詩を生み、うるわしい物語を残した。詩人たちは、このモスリンのことを「夕べの露」Shahnnamといい、「流れる水」Abrawanと称し、「王者の綿紗」にM1ull Mul Khasと讃えた。
英国では「羊毛のモスリン」生産は発達しなかった。ーその代わり、羊毛のモスリンの生産はフランスやドイツで発達した。フランスではことにアルサス州が最も盛んで、ドイツではではWoll Muselin(ヴォル?ムゼリーン)と称して、ザクセン地方がその主産地であった。フランスでもドイツでも、このしなやかな「羊毛モスリン」は婦人子供服として、少なくとも昭和前期までは広く愛用された。ー明治維新前後から日本に舶載されて輸入された「モスリン」は、このフランス製やドイツ製のものだったようである。 薄くしなやかで滑らかな木綿のモスリン』は、西欧に渡って、西欧産の羊毛の糸で織り出すエ夫がなされて、それを(羊毛のモスリン」"mousseline de laine"と称して広く売り出された。
古くから羊毛生産と羊毛加工の本場であった英国に於ける羊毛加エ産業は、英国誘洋の、太く粗くて腰の強い羊毛を対象として発達してきたものだったため、モスリンのような軟かく細い糸を紡ぎ出して織り上げるような設備は不十分で、たとえ、このモスリン生産を手がけたとしても、その生産は極めて不経済だった。