具現化に「意図」を働かせると 循環は潰える

創造は瞬きの空(くう)に振るう 渾身の煌めき

「辛苦」のサインは、「どうする事も出来ない事を
どうにかしようとする強い自我意識」の発動を
報せるものです。これを「執着」といいます。
「過去」「未来」への執着全ては、今この瞬間に
「存在しない投影幻想」の中にのみ在る世界。
「どうすることも出来ない事象達との共存」が
「課題」ということになります。

「悔しい・辛い・腹立たしい・許せない」等々、
「意識」を過去に杭打ち続ける「想い」の振動に
「それがあったせいで」「あれさえなければ」と
「リスタート」をどこまでも拒み続けたり、否定的
過去が「帳消し」になるような「未来」を創って
「見返してやる・今にみてろ」等々、自我物語の
ストーリーを軌道修正する「未来」を何が何でも
過呼吸になる程の勢いで掴みに行こうとする。

拒絶したり、克服しようとしたり、御自我様達は
山のような「体験」を積み上げて、気づくのです。
「こう育てられたから」「あんな事があったから」
等々、過去を掴む癖は、「仕事があるから」
「忙しいから」「やりたくないから」等々、現在の
全ての創造への「意識の在り方」と同じだし、

「見返す」果を獲得しても、現在進行形で
「わたし最高位を否定する果」に出逢う度に、
「今に見てろ」「こんな果で終わらせない」等々
それを帳消しにする未来で塗り替えようとする
「克服を使ったコントラスト・シーソーゲーム」を
続けていたりして、延々「同じ事の繰り返し」
=「停滞」を生き続けている、ということに。

「出来事・事象」は天候のように流れゆく景色、

「辛苦」を創造するは「停滞ルート」を選択する

「創造者=自我意識」の決定。「進化ルート」を

選択すれば、「楽」は簡単に具現化可能です。

「体験」ではなく、「創造」の観点で生きる。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「感動したいから、あの映画を観よう」とか、
「やる気が出るよう、あの映画を観よう」等々、
「想い」の振動チャネルを変えることで、
体験世界が変化する事は誰もが知ることです。
キツイ映画をみたら、ズドーンとなるし、
面白い映画をみたら、楽しい気分になります。

映画館を後にする時は、「なんか…くるね…」とか
「ちょっと、お昼に観るにはアレだったね…」等々、
映画の振動を引きずっていても、外に出て
太陽の光を浴びて、ご飯を食べたりお茶をして
友達とワイワイ話をしていると、
「あれ?さっきの気分どこいった?」みたいに
流れてしまう事もよく知っていたりします。

「投影幻想」というのは、どうやったって、
今この瞬間のリアルを超える事は不可能です。
なぜなら「肉体の存在場」が「リアル」だから。
しかし、投影幻想は「リアルではない利点」として
「思い出せば、何度でも浸れる」点があります。
そして、「納得がいかない映画の結末」に対し、
「なんで監督はこんな結末にしたんだろう」とか
「何を云いたかった映画なの?」と、悶々と、
「納得を見つける思考」に嵌る事も出来ます。

そして、「わたしだったら、絶対こうするのに」とか
挙句、「あの映画は、こういうところがイマイチ」
「この結末については、賛成できない」等々、
批判めいた事まで思いはじめたりする。
しかし、いくら声をあげてみても、映画はもう
「完成」しているので変化する事はありません。

「納得がいかない出来事・後悔する事象」等々
「過去」の出来事に「執着」し続ける創造も、
上記と全く同じ、世界観を持っています。
ただ一つやっかいな事は、「過去」というのは
「自我物語」の作者が「わたし」だという点です。
「何とか変えられる」と思ってしまいやすい。
それは「過去→現在→未来」というように、
「物語は時系列で繋がり、まだ続いている」
と、「一連」のように誤認しているから。

実際は「ある一つの過去点」という、点灯し
消灯した「点」が在っただけで、それはどこにも
繋がってはいないのです。「3年前、人間が
ある山を崩した件で、落雷します」みたいな
「1つの出来事だけにフォーカスした動きをする」
物語の意味最優先な自然現象などないように
全ては循環構造の「宇宙摂理システム」に基づき
ある事象「点」が「発生」するように到来する。

システムの中の存在にとっては、それはあまりに
「唐突」に感じるでしょうけれど、全ては「循環」
構造のシステム通りに発生しています。例えば、
バイトで、流れてくる荷物を仕分けする時に、
「この荷物を仕分けする意味は?」「なぜ、
わたしの前にこの荷物が流れてきたのか?」
など、思考したりしないはず。「重いな」とか
「軽っ。見た目重そうなのに」等々、感じつつも
せっせと「仕分ける役」へ行動し続けます。

「荷物」が「出来事・事象」だとすれば、
荷物をどこに流すかを采配しているシステムが
「宇宙摂理」みたいなもの。そして仕分け役は、
「全てを進化ルートへ転換し流す役」となる。
わたし達スピリットは「循環構造」という「全」を
創造する「一」としての役を持っています。

なので、流れてきた事象・出来事は仕分け荷物
=「停滞の因りとなる課題を、炙り出す角度で
表現された現実」を、書類をただ受け取るように
受け取り、炙り出た「停滞」を創る課題を
循環構造=進化ルートへ流れるよう調えます。

「執着」の辛苦は、「傲慢さ」に気づく學びです。
 
「わたし最高位」の認識があると、何事も全てを
 
変えることが出来ると思い込んでしまうのです。

「どうしようも出来ない事がある」と、真に解して

いるならば、自然と「受容」の位置に立ちます。

雷が鳴った事を「許せない」と思い続けないのは

自然現象は「どうにも出来ない」と解していて

「共存」を受容しているから。「現実の到来」も

全く同じです。「創造」が及ぶ範囲は、実は

「今この瞬間」のみです。それは瞬間の「点滅」に

生きていると御伝えし続けている通り。「一瞬」に

どれだけの「意識とエネルギー」を込めて、行動

グラウンディングをするか。今この瞬間「点」以外

我々の創造場はないのです。そうして集まった

「点」が「循環構造」の宇宙摂理システムによって

様々な巡り還る「果」へ采配され到来するのです。

「欲」に基づく「意図」を込めたら、それに応じた

「果」が還る。もし到来した「果」に対して、相当

歪んだ体感サイン=「キツイ投影」が出るなら、

それだけ「意識場の創造構造の歪み」がある、

という課題の鏡です。つい「表現された世界」に

映画の中へ没入するように嵌りがちですが、

まず「体験に嵌り込む観点」に気づき、事象という

ある「果」のパッケージの外側に出して、その果を

「二元構造」で捉えて「投影」を創り続ける

自我システムを停止して、「果」を投影ではなく

「進化」に使うツールとして観ていきます。

「なんで、こんな現実が」に強いて解を出すなら

「わたしが、停滞を創る意識の創造構造を、

放置し続けているから」です。コントラスト投影に

「翻弄され続ける状態」は、意識フォーカスを

「今この瞬間の共通事実」に置かないからです。

「今・今・今」→「瞬間・瞬間・瞬間」のように、

「リアル=存在場」に「意識の軸」を置き続ける

「癖」をつけていきます。まずは、ここから。

今、何かが炙り出ても、それは次の瞬間には、

もう「過去」になります。流れたもの=消灯した

点を追わず、「点灯」に移動し続けるのです。

「意識をして」そう生きる事を「決定」といいます。

そして、必要分「意識をし続けたら」やがて

それは「無意識」に移行し、「普通に」出来る、

つまり「楽」に出来るようになります。必ず。

ここまで全ての創造を「継続」するのです。

循環の具現化は「無意識への移行」が必須。

創造者の観点の基盤を創る「今」をはじめて―
 

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An gal-ta ki gal-se  PJ

集中するのは目の前の「一」 創造するのは「全」

「点」という「構造の一片」を順不同に創造する

「具現化創造」という言葉をイメージする時に、
「意識の観点をどこに置いているか」は、
とても重要なポイントとなります。なぜならば
それが「世界の規模」「創造範囲」になるから。
というと、「世界で有名な〇〇になる」みたいに
「言葉で規模を大きくする思考」を使う人が
とても多いのですが、これは「言葉あそび」です。

同じ「意識の観点」で「言い方を変えた」だけ。
何度も御伝えしていますが、宇宙は立体的な
「創造構造」の集合意識体です。惑星地球も
「球体」ですし、わたし達の住んでいる家も
立体的な構造をしています。物質界の全て、
リモコンもボトルも、立体的な構造でその中に
「ある何らかの世界」が収納されています。

物質的に目に観える「事実」から観えてくるのは
「世界は常に立体の中に収納されている」こと。
「電柱」「電車」「飛行機」等々物体の中には
それをそれとする為の「意識の設計図」のままに
具現化したシステム経路や構造が入っている。

それは「目に観えない形状」も同じです。例えば
「人間関係」や「チーム」等々は、肉眼で見える
物質的な構造に格納されてはいませんが、
「組織図」「成り立ち」「関係図」を観ると、
ピラミッド構造のようになっていたりするように。

御伝えしている「具現化」は「ある立体世界」
=「全」の構造を創造する事を指しています。
わたし達が「全」の中の「一」として「學び」が
はじまるのは「全」の創造者へ進化する為。

「意識の観点」を「全」へ移行するプロセスに

自我最後尾で「一」に徹し、「全の構造」を観る

観察者の観点を立て、「一」の學びを終えると、

『魂の羅針盤』世界の具現化創造がはじまる。
 

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「〇〇になる」とか「△までにこうして□にする」
等々のような「目標」というのは、例えば、
「あの旗が立っているところまで、とりあえず走る」
みたいな「何らかの経路上のポイント」です。
つまり「〇〇になる」「△までに□にする」は
「全なる一」の「一」の行動グラウンディングで、
「創造する世界は別にある」ということ。

もし「〇〇になる」「□する」が終点になっている
場合は、その「一」というのは、何らかの
「既存の全」の中の「一」役になります。
もし「体験をする」目的なら「全なる一」は実に
ベストなポジションです。例えば「人気になる」
という具現化体験を目的に、「人気占い師」
「人気歌手」等々になるのであれば、そうした
「売り方の構造」を持っている既存の「全」に
所属した「一」になるのが最短最速です。

ただ、「体験者」というのは「全」>「一」という
「ポジション」に在ることが必須となります。
「全なる一」として「全の構造」を創造する
「役」として事に仕えているポジションです。

しかし、ある「全」の中で「一」を担っていると、
「もっと、こうしたらいいのに」「どうして、これが
こうなってないんだ」等々、色々な意見などを
物申したくなったりするのは常ですし、また
「同じ見解の一」を多く集めて、「全」の構造の
変更へ働きかけようとする動きが出たりします。

「全なる一」という「役」に気づいていない故に、
「一」がいるからこそ、「全」が成り立つんだ、
という事を主張したくなってしまう。確かに、
「一」あってこそですが、逆にまた「全」の構造が
あってこそ、その「一」も在るわけです。つまり、
「持ちつ持たれつ」=「協働共存」の関係です。
どちらがどう、という事ではない。

例えば「リュック」一つとって観ても、色々な
「機能」「形状」「特徴」等々があるように、
同じカテゴリーの「全」という世界も、創造構造は
「様々ある」のです。どういう「構造」によって
創造するかは、その「全」の創造構造をゼロから
創り上げた創造者、会社で云えば創業者の
「意識の設計図」が具現化したものになります。

しかし「全」の構造を創る人は世代交代によって
変遷していくし、所属する「一」が多くなると、
「一」の集合意識の方向性の影響も受けるので
時代と共に「創造構造」は変化していきます。
もし「全」の変化が、流れに対して抵抗して
推移しない場合は、その「全」は衰退の循環へ
向かっていきます。「全」は「宇宙摂理の循環」の
流動の上に在る世界となります。

という「創造構造」を捉えた時、「創造」とは、
「もっとこうしたらいいのに」等々個々スピリットが
「最善最良」と感じる世界=「全」を物質界に
具現化する事だと観えてくるはずです。
例えで挙げた「歌手」や「占い師」というのも
「全」という世界の中における1つの「表現」
「色彩」のようなもので、どんな「創造構造」を
持つ世界を具現化するかが創造なのです。

「構造」とは「獲得」ではなく「意識の在り方」を
 
具体的に具現化しながら組み上げて創造するもの。

「この仕組みを使って下さい」と云われたままに、

既存構造のコピペ獲得は可能ですが、それは

ある「全」の量産、フランチャイズ「全」です。

「意識を物質化しゼロから構造化する」意の

「新しき世界を具現化する創造」と異なります。

もし「何かになる」「こうする」等々のように

「体験者の一」のポジションをイメージして、

それへ成ることを具現化創造だと思っているなら

「観点」を一つ俯瞰の位置に置き直します。

実は「全」の創造構造の中で、どんな「一」に

成るかはある程度は自由に選べます。「ある程度」

というのは、これまでのスピリット世において、

「相当鍛錬してきた事」を選ぶと、実にスムーズに

「全」を具現化する事が出来るし、「まだまだ

未熟」という事を選べば、相応の時間がかかる、

という違いがあるので、『魂の羅針盤』にある

候補のリスト3つには「最も鍛錬している事」が

順番に描かれています。『魂の羅針盤』の決定は、

ある世界=「全」の具現化にあるので、それを

「最短最速・最善最良」に創造できるツールの

トップ3をリスト化してきます。第二候補まで、

くらいなら、そこそこスムーズにいくと感じます。

しかし、御自我様は大概、リストにすらない

「何か」をやろうとするのが常です。けれど、

「全」を創ってから「未熟を鍛錬する道」もある。
 
「こだわるな、案ずるな、方法はある」ということ。
 
「今この瞬間の最善最良を先に」具現化すれば、
 
どんな「未知」も「道」とすることは可能です。

まずは「最も得意」を開く「全」を具現化する。

スピリットの世界を具現化する創造を目指して―
 

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「未知」をそのままに「道」を創る時 最善は開く

「最善最良の未知」を消し去るのは 獲得観点

「物質界特有の時間軸を使う創造の明確さ」が
当然になってしまっているわたし達は、なかなか
「獲得観点」を消すことが出来ない状態です。
「何時何分の飛行機に乗って、〇時のバスで
△駅に行けば、□時間には合流出来る」等々
「未来はいつも時間軸と共に」存在します。

世界が「時間によって囲われている」とも云える。
「スケジュール」「行程表」等々にパッケージされた
中に「何かを予定どおりに創造」して、そして
「予定どおりの果を得る」事が通例です。
この観点に縛られているので、その延長線上に
「未来」を観てしまう「意識の癖」があるのです。

体験する全ては「霊性進化プロセス」に基づき

存在している観点から、「この体験や創造は一体、

何の學びに繋がっているのか」と、常に問う。

その問いが「気づき」への到達を創造するのです。
 

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宇宙はフラクタルな創造構造を持っています。
マトリョーシカのように、同じ構造の世界が、
サイズ違いで無限に重なって在るイメージ。
なのでわたし達の体験も、どこかのサイズの
「構造の中」に存在している事になります。

という事は、自分の体験している「世界」を、
「観察者」の観点で俯瞰して、
「どんな創造構造の中にいるのだろうか」と
観ることによって、「何のパッケージの中」に
いるのかが観えてきます。例えば、自分自身が
「一粒のチョコ」だったとします。毎日「チョコ」の
役割をやっているけれど、「わたしは一体、
どういうチョコを創ってるの?」と問いを持ち、

「観察者」の観点で俯瞰してみると、
「あ、チョコボールですか!わたしはナッツ入りの
チョコボール体験を繰り返してたんですね」と、
分かったりする。(わかります。なぜチョコボールか?
それはですね、わたしが今チョコボールを食べてるからです)

それに気づけば、あの嘴みたいなチョコを出す
構造が解るので「箱から出られる」わけです。

しかし、そもそも「わたしは一体~創ってるの?」
という「問い」を持たなければ、ずっと箱の中の
一粒のチョコボール体験を繰り返し続けます。
何事も全てへ「問う観点」はとても大切です。
フラクタル構造の観点から捉えると、
わたし達は「チョコボールの箱の中」にいますが
そもそも、その「チョコボール」という世界を
創った人=創造者がいるわけで、その存在は
1つ俯瞰した観点にある、という事がわかります。

これを「意識」に置き換えると、わたしの体験は
全て「ある一つのパッケージ=創造構造」の中で
繰り返されていて、「体験世界のパッケージ」の
仕組みの創造者が、一つ俯瞰した観点に
存在していることになります。それは誰か。
それが「わたし=自我意識=自我システム」です。

パッケージを小さい順にザックリと書くと、
「体験<自我システム<自我意識<創造主」
みたいなイメージになります。厳密には、
「自我意識<創造主」の間には、何段階も
構造がありますが、ここでは割愛します。
つまり、解脱するには「体験パッケージ」の箱、
(チョコボールの箱)から最初に出る必要がある。

ただ「体験パッケージ」はたくさんあります。
1つ出ても、また「DARSだったんか!」とか、
「アルフォートかよ!」みたいに、色々な一粒の
チョコ体験を数多無限に持っているわけです。
(チョコ縛りを解脱しましょう)このあらゆる箱から出る
必要があるのですが、チョコ観点をいちいち
経由すると実に「キリがない」わけです。

わたし達も、チョコを試食してから「これは…
小枝の…季節限定ご褒美モンブランでは?!」
「正解!」となれば、やっとレジでチョコの箱を
出してもらえるコンビニだったら、もはや便利さ
ゼロじゃんとなるはず。今、わたし達が店に入り
「パッケージで一目でわかる」ような状態、
即ち、「観察者の観点」に常駐していれば、
全ての「体験パッケージ=世界=創造構造」が
観えるようになるので、「体験経由」をせずに
「パッケージの創造者」になる事が出来ます。

なので「観察者の観点を確立」する観察が、
重要になってくるわけです。では、最初の問い、
「わたしは一体、どういうチョコを創ってるの?」
を一段俯瞰して、次に「わたしは一体、どうして
体験を繰り返しているの?」というように、
「体験パッケージ」世界そのものを「問う」。
「問い」は、「解」を得たら終わりではなく、
「構造を一つ」上げ、無限に「問い続け」ます。
この「意識の在り方」を「學ぶ」といいます。
霊性進化プロセスはこの意識の観点が必須。

そうすると、例えば「無価値パッケージ」とか
「怒りパッケージ」「我軸判断パッケージ」等々、
ありとあらゆる「パッケージ世界」の体験を
繰り返して、何になるんだろう?というような
一種の「空虚さ」に到達するはずです。

「空虚に行き着く」という事から、つまりそもそも
「創造軸がない」「何も創っていない」
「強いて云えば体験だけを創っている状態」
「パッケージは、ある同じ体験を繰り返す仕組み」
という「ただの体験者」な事実が観えてくる。
 
よく「わたし達は体験する為に生まれている」から
どんな体験も「したかったから」あるんですよと、
良くも悪くも「体験したいからしたんだよぉ」と
無理くり収めるフワッとしたあれは、「ただ単に
創造構造が盲目な状態の言」だと観えてきます。
確かに「体験を創造」しますが、その全ては
宇宙の創造構造の中の「一」ですから、何事も
「仕組みの観点で捉える」事が必要です。

さて「観察」を受け、「ああ、これまでわたしは
自我システムによって創られたパッケージ
=創造構造の中を往来し続ける一つの振動、
つまり、例えば無価値世界を循環維持する
一片の振動として体験をしていたんだ」と気づく。
そして「なるほど全ては、今この瞬間その構造に
気づく為のプロセスだったのか」と解が観える。

そして「それに気づいたなら、ある体験パッケージ
世界を解脱して、パッケージを創り変える創造者に
成る事もできるし、様々なパッケージ世界を
1つ俯瞰した観点から組み合わせて構造化して
もう1つ大きな世界を創ることも可能なんだ」と、
「霊性進化の方向性」が更に観えてくるのです。

「様々なパッケージ世界を、1つ俯瞰した観点
から組み合わせて構造化して1つの世界を創る」
というのを、簡単に例えると、チョコボールとか
DARSとか、小枝などのパッケージ世界を
組み合わせて構造化して、「M製菓」という
1つの世界を創造する、みたいなイメージです。
(なんでほぼM製菓のチョコばっかりやねん…と思って
おられた方、全てはただこの着地の為だったのです…)


こうして「創造構造」の観察を極めていくと、
「物質界特有の時間軸を使う創造の明確さ」
「世界が時間によって囲われている」というような
特性も、腑に落ちてくるはずです。つまり、
物質界の創造を可能にする=「パッケージ化」を
可能にしているのは、「時間の概念」であり
この概念を持つ限り「有限」に留まり続け、
「同じ行動の繰り返しが可能になる」ということ。

「獲得観点」は「時間の概念を基盤」としている

「意識場」においてのみ、使う事ができる観点。

観察してみれば、我々が「獲得」出来る全ては

「時間」と共にあると解るはずです。「卒業」

「カリキュラム」「事業計画」「工事行程」等々。

何年後にはこうなる「果」が得られるという、

「あるパッケージ世界の中」においてのみ、

「獲得」を手にすることが出来るのです。

しかし、そのパッケージは「他の創造者」により

創られた型なので、「ただ体験を獲得する」

という仕様でしかないのです。具現化創造は

仕組みそのものを、ゼロから創っていきます。

しかし「果」を得るには「パッケージ」が必要です。

「矛盾しているじゃないか」と思いますが、

「時間の概念のないパッケージ」を創るのです。

「いやいや、パッケージでしょ?囲ってるんだから、

縛りがあるでしょうよ」と思いますが、パッケージを

「構造」に置き換え、仕組みを「循環」にします。

そして循環の創造軸を「宇宙摂理」とする時、

「宇宙摂理を軸とする、循環構造の意識場」

という、霊性ステージに応じたサイズの「意識場」
 
というパッケージを基盤に、意識とエネルギーの
 
巡り還りの具現化に基づく「果」を創る事が出来る。

宇宙摂理の「循環構造」を「意識場」というサイズに
 
調えた「意識」の振動律にピッタリと一致する

「行動グラウンディング」を創造すると「無限」の

「巡り還り」に基づく「果」が具現化するのです。

具現化創造は「気持ち・気分・想い」ではなく、

「創造構造と仕組み」に基づいて成るのです。

よって、まずは「意識場の創造構造を調える」

これが必要であり、その一歩として「体験者」の

パッケージから解脱して、「観察者の観点」に

常駐する事が必須なのです。手っ取り早く、

「果を手にしたい」獲得観点を続けても、

有限の時間がどんどん削られるだけです。

真なる具現化創造へ進化する観点へ 立ち戻って―
 

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An gal-ta ki gal-se  PJ

世界の構造を観る時 必ずそこに突破口がある

思考を止め 今ここにある全ての振動と融合する

例えば、紙パックのジュースを飲んでいる時、
持っている手に力を込めると、差し込んでいる
ストローからジュースが飛び出してしまいます。
「外軸」と云われる時の振動エネルギーは、
これと同じようなイメージの流れを持っています。

飛び出したジュースはもう元に戻せないし、
思い切り握りしめてしまって中身が全部出て
しまったら、紙パックは空っぽになります。
ここで「紙パック」を「肉体」に、「ジュース」を
「エネルギー」に置き換えて観てみると、
「外軸になっている時」は、紙パックを自らで握り
凹ませてぶちまけるような「肉体の使い方」をして

「肉体」の中に容れてある「エネルギー」を全て
本来の目的とは異なる事へ、無駄に使い果たし
失ってしまう具現化創造であると観てとれます。
「肉体」の行動を司っているのは「意識」ですが、
「凹ませるような使い方」=「自らのエネルギーを
無駄使いする動き」とは、「投影幻想」及び、
それに付随する「思考」に該当します。

「今この瞬間」の振動へ創造を合わせるには、

常に「ベストパフォーマンス」を出せる「状態」に

「意識場」を調律されている事が必須となる。

「タイミングを逃す」「どう動けばいいのか、何を

云えばいいのか思いつかない」等々、瞬発性の

「欠け」はエネルギーの使い方に因りがある。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「外軸」とは、どういうイメージがあるでしょうか。
一般的によく思い描くのは、周囲の意見や
感想などに惑わされて、「え?そうなの?」と
自分の感覚との異なりに戸惑いを覚えたり、
「こうした方がいいよ。後で困るよ」という助言や
「皆、普通はこうするよ」等々の大勢の意見に
「そうかな…じゃあ、これはやめとこう」など、

周囲に『鏡』されている「自らの潜在的不安」を
目の当たりにして、「不安・恐れ>決定」へと
選択が揺らいでしまう事象ではないでしょうか。
「外軸」と聴くと、「わたしの以外の何か」の
影響によって「ブレる」ように感じますが、
『鏡の法則』に基づいて観れば、実際は、
「わたしが隠蔽して、無かった事にしている
否定的な内的世界の闇」の具現化とわかります。

「自作自演の翻弄劇」ですが、その事に当然
二元構造の意識場の御自我様な「わたし」は
全く気づいていません。なので、「Aさんが」
こう言った、「皆が」こう言ったから等々のように
「わたしじゃない誰かの何かの影響」によって、
選択を変更したのだ、という「ストーリー」に
しているだけで、ほんとうは「闇のわたし」が云う
「やめとけて」という助言に従っただけなのです。

真なる支配者は「自分自身である」という事に
気づいている御自我様は少ない。しかし「薄々」
気づいているので、「自分の敵は自分」とか、
「自分に打ち勝つ」みたいな言葉があるのです。
そうなると、ここで疑問が出るはずです。
「ん?外も内もわたしなら、外軸なったとて
自分のエネルギーを自分に放っているわけで
無駄な作業だけど、枯渇はしないのでは?」と。

ここで、創造は「意識とエネルギー」が全て、と
「世界は認識が創っている」という「言」を
思い出します。つまり「創造者」が他者や現実を
「自分自身」と認識しておらず、「わたし以外」
という「別世界」として「認識」しているならば、
「具現化体験は、そのように創られる」のです。

念の為一つ御伝えしておくと、「知識として、
そのことを知っている」状態は、「認識」ではなく
「空想的認識」に該当します。「認識」とは、
例えば、誰かを見た瞬間「あ、Aさん!」と解る
みたいなイメージです。一方で、「これ知ってる?
一見すると砂糖がついてて甘そうでしょ?でも、
実は激辛なんだよ」と云われて、「ああ、それ。
知ってる。そうらしいね。」みたいに「そうだと
理解しているが、体験してないので知らない」
という状態は、「リアル」とは異なるという意で
「空想的認識」と分けて捉えていきます。

なので「実体験ゼロ」=「細胞に沁み渡るように
心から腑に落ちていない」=「どう考えてみても、
わたし最高位だし、世の中は否定したい事や
理不尽に溢れている」等々の、コントラストしか
ないような状態は、いくら「鏡の法則だと、
認識しています」と云っても、それは「実体験」
ではなく「そうらしい」に基づく空想的認識に
該当するのです。もし真に腑に落ちていれば、
コントラストは、ほぼ殆ど感じなくなります。

という事を踏まえると、『鏡の法則』のことは
知っていても、他者や現実は「わたし以外」の
「別世界」として「認識」しているなという事が
自分自身に観えてくるのではないでしょうか。
「具現化体験」は「認識」に基づき創られる為、
「他者」と「自分」が表裏一体の認識がない限り
「自分のエネルギーを自分に放つ」=「循環」の
具現化体験が創られることはありません。

なので、紙パックに入った「決定」ジュースを、
外側の世界の圧に押されて、自らで凹ませる
=「自分の決定を潰し」て、外へ流してしまって
「枯渇・虚無」が創造されるのです。よく、
さっきまで「やる気満々」だったのに、誰かに
気分が滅入ること=「図星」を突かれたこと
=「盲目の意識場を強烈に鏡されたこと」で
幻想が続かなくなり、「あの人のせいで、急に
やる気失せた」みたな事があるのは、それです。

「でも、決定が流れるなら、それでよいのでは?」
と思うでしょうけれど、創造者が「決定を変更」
しても、通常「エネルギーの流出」はありません。
なぜなら、「圧に押されて選択決定が変わる」
という「創造ルート」がそもそもないからです。

「自らの中心軸」に満ちている振動エネルギーは
行動グラウンディングを創造する時、意識の
「先導」によって、肉体を使い行動し「体現する」
という「具現化創造」に使われます。これは、
「内なる世界を、外へ転じる」認識に基づいた
「自己循環」のエネルギーの使い方になります。

自己循環にあれば、全員が「NO」でも、
わたしは「YES」の決定を実行する事を、
「全ての巡り還りを受ける」受容に基づく責で、
軽やかに選択することが可能になります。
 
ところが、「意識が外へ向いている」と、
その方向が「創造者の磁場」となるので
「エネルギーは、常に外側へ流れ出て」しまう。
人と会って「疲れが酷い・頭痛がする」時は、
「外軸」モードのチャネルを使っているシーンが
多く、エネルギーが枯渇しているからです。
 
人混みにいても、大勢の前に立っていても、
「内的な意識世界の中心軸」に流れている
決定的な存在振動のエネルギーと、「認識」が
ピッタリと調う律にある=「ゼロ・凪」の
モードになっていると、「影響」を受けない、
もしくは「最小限」にする事が可能になるのです。
 
「わたしの振り分け」では「理不尽」を感じる現実に

「わたしが納得する筋道」を観つける為の思考や

「他者を否定する自分を否定」するループ思考等々は

全て「外へエネルギーを無駄に流す」創造です。

投影は「外軸」=「存在の軸から意識を逸らし

全然違う場所に存在があるように思い込ませる

認識」によって創られます。だから、わたし達は

「気」を外に放つ事が多い。昨日のブログ

書いた「奮起」も、自らの中のエネルギーを、

熱気のように外へ放ち、その「気」に先導されて

「動」を創る。だからもの凄く「疲れる」のです。

「やる気満々」は「瞬発的創造」に使えますが、

「長期的創造」は枯渇をもたらす為、常人には

お勧めではない。「やる気満々」が悪いという

話ではなく、「創造ルート」の問題です。

「満々な気」を、「自己循環=内的世界」の

創造において使うのです。それが昨日のブログ

「鎮める」に該当します。「自己循環」させるには

「外へ誘う全て」を削ぎ落します。つまり、現実の

到来を「なぜこうなった」「どういうことだ」と

今すぐ決着を付けたがるストーリー思考だったり、

「否定」や投影による「重苦しさ」と共存せずに、

それを感じている自分を押さえつけるように

律そうとする「ありのままの拒絶」等々のルートを

全て遮断するという事。「追わない」ことです。

わたし達が夜に眠った時に視る「夢」は、筋道が

全く通らない事や、意味不明な事がたくさん

勃発しているはずです。「夢だから」と我々は

思っていますが、あれが真なる世界です。実は

現実も「今この瞬間」というバラバラのピースが

散らばって、順不同に循環している世界。それを

「自我が勝手に意識場でストーリーに仕立て」て

それを「現実世界に投影体験」しているのです。

そうした「創作」を手離す方向へ意識を調えます。

すると「追うもの」がなくなるので、外への流れが

ピタっと停止するのです。そうなると、全ての

「振動エネルギー」を、「決定」への具現化に

「込めて使う」=「自己循環」が可能になる。

かつて放った「意識とエネルギー」の巡り還りが

ただ目の前にあるだけで、「今この瞬間場」は

いつも「内的世界の中」において存在します。

肉体の「存在場」である「現実」の中へ、

「今この瞬間場」のエネルギーと意識で融合し

「自己循環の動」が鏡される世界を創造する。

余す事なく「エネルギー」を「100」使って、

「無限の可能性」を具現化する「一」と成れ―。
 

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1点にエネルギーを「集中」するように創造へ挑む

「役」に徹し世界と融合する時 「我」は消滅する

映画や舞台を観ていると、時に「あ、この人は
もう役の世界100そのままの振動をしている」と
感じる、カメレオン的な役者さんがいたりします。
そして、そういう人は「役柄」によって180度
印象が変わるので、当然ですが観客側は
役者さんの「素」が、全くわからないものです。

台本を読んだり、ストーリーを知って
「わたしなら、絶対こんな酷いことしない」と
演じる「役」を否定する御自我様が出張ると、
その「役」と融合することはまず出来ない。
「わたし」のボリュームをゼロにして、自分とは
全く異質の世界を「100受け容れ」て、その世界
そのものに成ってみると、「ああ、こういう風に
観えるんだなぁ」という景色に初めて出逢う。

「そんな酷いことはしない」と思っていたけれど、
それは、赤色が「白なんて最低」と云っている
ようなもので、白になってみれば「白の世界」が
「赤の世界」と同じように存在していて、
「酷い」と感じたそれも、白の世界を軸とした時
全然そうではなかった、という事が観えてくる。

「わたし」という確固たる世界をゼロにする時

「全力で集中する」という創造へ到達します。

そこは「疲れる」という言葉がないような、

阻害なくエネルギーが循環する磁場を持つ。
 

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ここ3日程ですが、トータルの睡眠時間が
5時間程度かな、という日々を過ごしています。
というと、「え~!」とよく云われますが、
時々昔から、こうしたモードになる時があります。
どんな時になるのかというと、物理的に
行う必要のある事が一気に押し寄せた時です。

「身体が3つぐらい欲しい」的な忙しさを
感じる事は誰しもあると思います。その多くは
「気持ちが忙しさを創っている」ものですが、
それとは異なり、例えば「ごはんを食べながら、
パソコンで文字を打って、お風呂も入ってね」
みたいな、「実際問題3ついるわ」な状態の時。

通常バラバラで行えば、少なくとも12時間は
要するものを、4時間で行う必要がある、
というような事態になると、「全力フルモード」へ
チャネルが移行し、寝なくても眠くならず、
食べなくてもお腹が空かず、挙句汗が垂れてから
「あ、クーラーつけなきゃ」と気づく、みたいに
体感レベルも、必要最低限までボリュームが
下がった状態になる事があるのです。
「あっぶな~脱水症状なるところだった」みたいな
事になると、体感のありがたさが身に沁みます。

「いや、その体感どうした?」ですが、一時的に
「意識配分」を変えているような感じです。
システムの設定を「一時的に」変更して、
「体感」のボリュームを下げた、という感じ。
ただし、生命に関わる肉体反応はあるので、
「喉が渇いてきた」感覚とか、汗が流れる、
という反応はちゃんとあります。ただ、いつもの
「暑いなぁ」とか、「喉がカラカラだ」みたいな
感覚はなくて、まるでシステムのアラート管理で、
時間だからそうする、みたいな感覚が優勢です。

それは、どう創っているのかというと、
例えば「12時間かかることを、4時間でする」
という「決定に意識を全集中」した時に、
あちこちに分散されていた意識が一気にスーッと
ドライアイスみたいに足元に下がるように、
「鎮み」はじめるのです。この感覚をわたしは
「地に足を着ける」というのだと、解しています。

通常、やる事がたくさんあると、腕まくりをして
「よ~し!やるぞっ!」と奮起する方向へ
「気」を使うケースが多かったりするし、周囲も
「頑張れ~!」「いけるいける~」「人間やれば
何だって出来るぞ~!」みたいな熱いモードで
応援をしたりするものです。しかし、個人的には
幼い頃から「ここぞ」という時は、「奮起」ではなく
むしろ不要な昂りがあれば、全てを削ぐように
「とことん鎮める」方向へ動かすように使います。

試合でも、「応援の声が聴こえない」モードに
チャネルを合わせるまで意識を鎮ませます。
そうすると、相手の動きが「スロー」に見えるので、
足の動きが通常の何倍も観えるようになって
「あの人、ここへ打つな(バレーボール)」等々が
観えて、先にそのポイントへ入る、身体ごと
飛び込んでボールを拾う事が出来たりする。
その時の世界は、「相手とわたし」などもなくなり
「ボールに対して、どう動くか」があるのみです。
それ以外の一切が消えてなくなってしまう。

「気」は「鎮めるほど、強くなる」という感覚を
幼い頃から抱いていて、「決定」を具現化するに
あたって必要な分の「意識」を、鎮める事で
基盤に集めているようなイメージです。これは
「意識の動かし方」さえきちんとマスターすれば、
特殊なことではなく「誰でも出来ること」です。

「え、どうやってマスターするの?」というと、
いつもの「ド定番」で大変申し訳ないのですが、
創造意識は「自我あると動かしにくい」です。
「なんだよ、また自我かよっ」と机を蹴ったかも
しれませんが、気持ちはわかりますが、
PCにウィルスソフトを2種類いれられないのと
同じようなイメージだと思って下さい。

「決定」を具現化するならば、その「具現化」へ
行動グラウンディングする意識システムだけを
残して、他の不要な装飾を創造する
「自我システムはアンインストールして下さい」
ということです。わたしの感覚では、
意識によって「振動エネルギー」全てが鎮まり、
「決定の意識基盤」の中に収まった時、一気に
カチッと「役に入る」ようなイメージがあります。

上記のバレーボールであれば、「勝つ」とか、
「負ける」みたいな概念すらない世界観の中で
「ボールをどう拾い、どう扱うか」という事だけに
髪の毛一本まで全てが集中して動いている、
というような感覚です。「決定」を具現化する
「分量分」の意識とエネルギーがセットされると、
「地に足が着く状態=浮つかず、反応せず
決定だけに真っ直ぐ行動グラウンディングする」
創造軸がドンッと据わるのです。

「何をそんな集中することがあったのか?」
というと、ここ数日の様々な天変地異です。
こうした時、同じような「役」の方はお解りかと
思いますが、あらゆるタイムラインの情報が
一気に降りてくるのです。いつもを「1」とすると
「100」に該当するような量です。この全ての
振動を読み解き、制御しながら、集合意識に
装飾された雑多を丁寧に取り除き、
「ほんとうの実」の部分を、必要な人達へ伝えて
最善最良のタイムラインを「こっちです!」と
照らす作業が勃発するのが通例なのです。

通常の仕事にあわせて、それを行うとなると
「3つ身体を下さい」な状態になったので、
意識を思い切り「鎮める」ことで、「3日」という
期限を設けて、今肉体のストッパーを外して
全力モードになっています。3日というのは、
「物質的限界値」みたいなものです。

具現化創造は思っている以上に「気」や
「エネルギー」を消費するので、通常を逸脱した
「全力の集中」を使い続けると、どこかで必ず
歪みが出てしまうのです。「寝なくていいし、
食べなくていいなんて、時間がたっぷりあって
最高じゃないか」と欲をかいたら、やがて
ドカンッと肉体的不具合が巡り還るのです。
そもそも、そうした「欲」が出ている時点で、
「質の高い気の循環」を使えていませんので、
「疲れてくる」という現象が出てくるはずです。

自我意識があると、「集中」という創造の

体力がつかない傾向が高い。どうしても、

「コントラスト投影」に意識をとられてしまう。

云い方を変えると、「幻想に嵌ることだけ」に

「集中している」状態ともいえます。加えて、

自我の意識場は、上述のように「三日だけ」

みたいな限度も設定できないぐらい、リミッターが

壊れてしまっている事が殆どです。何事も

「バランス」「節度」が肝となりますが、ここで云う

「御自我様」は完全にそれを失った状態を

指した名称です。「意識を創造者として扱う」

権限を取り戻すと、「全集中モード」を使って

「ここぞ」という瞬間の具現化力を、何倍も

高める事が可能になります。「それ便利そう」と

「興」を抱いたならば、それに引っ張られるように

「自我最後尾」を創ってみるのも一つです。

特に今は、「意識を鎮める」集中の時です。

「決して」不安や恐怖に浮つかず、その全てを

炙り出るあらゆる振動を、「鎮める」と決めて、

スーーーっと下げるのです。我々は宇宙摂理の

「流れ」に生きる者。色んな振動でその「流れ」を

荒らさず、「鎮まる湖面」のように下げるのです。

「日常、現実、全てのシーンにおいてそうする」

「一切の例外なし」と決めて、実行に集中する。

集合的意識場が「鎮まる」と、それが具現化へ

転じて「地」を固めます。とても凄まじく強固に。

1人では「僅か」なエネルギー。しかし「数多」が

同じように「鎮まる」ならば「地」は固まるのです。

「成るように成る」「委ねるのみ」という決定に

意識のチャネルを合わせて、鎮める意を乗せる。

「わたし」を下げ「循環構造を創造する一」という

本来の「役」に徹する具現化へ挑む時です。

その意が乗れば「分断されている層」を循環し、

「一つ」の基盤に固めるエネルギーへ転じます。

今こそ「鍛錬の機」と心得て、今出来る全力で

「鎮め」地に足を着ける具現化を 成して―。
 

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