その様子を見て、ライチは目を疑った。
いつもは閑散としているミーリム海岸の崖に、途切れることなく人が並んでいたから。
その全員が釣り竿を持ち、必至の形相で海を睨んでいる。
ただならぬその雰囲気に、ライチでさえ近づくのを躊躇わせた。
「え? 何でこんなに人が居るの?」
不思議に思ったライチは、おそるおそる列に近づき、その1人に尋ねてみた。
「ねえねえ、何でこんなに釣りしている人が居るの?」
声をかけられた男は、振り返ると「邪魔するな」と言わんばかりの表情でライチを見るが、ライチの表情に気が緩んだのか、あっさりと答えた。
「何だ、知らないのか? 昨日ここで宝箱を釣った奴が居るんだよ。元々この海にはお宝伝説があってな、遙か昔に沈んだ船から流れた宝箱が潮に乗って漂流しているらしいんだよ。それにな・・・。」
男はGG-00から放たれた弾のように喋り始める。
「へー・・・たからばこ・・・。」
しかし、宝箱に関して嫌な思い出のあるライチは(第18章
参照)、さして興味を持たずに曖昧な相づちを打つだけだった。
「・・・という訳で、お宝を狙うのが漢ってもんだろ。おっとこうしちゃいられねえ、ここら辺は潮の流れが速いからすぐ針が流されちまうんだよ。そういう事だボウズ、宝箱欲しければ余所で釣りな。」
そう言うと男は首を戻し、再び視線を海に落とした。
ライチは再び海岸を見る。
びっしり並ぶ人の列。帰り支度をする者は居ない。よく見ると、宝箱を狙いつつ、普通の魚も釣っている人も居る。
どうやらライチの目的、赤身魚の切り身は簡単に手に入りそうになかった。
仕方なくライチは、海岸沿いをトボトボ歩き、人の居ない場所を求め彷徨いはじめた。
そして。
ついにライチは海岸線を諦め、海を泳いで島に渡った。
潮の流れが違うからか、泳ぎ着くのが大変だからか、この島には釣り竿を持ったトレジャーハンターは居なかった。
「ここならへーきかなー。」
周りをキョロキョロ。何の変哲もない無人島。荷物を降ろし、釣りの準備を始めようとするが。
身体がウズウズ。
そしてそれを止める事なんて考えるわけはなく、ライチは「先にこの島を探索しよー!」と言って飛び上がると、海岸沿いを走り出した。
予想通りの小さな島。あっという間に半周する。
「うーん、何もないなー。」
そう愚痴りながら、走る足は緩めず、砂浜を駆け抜け浅瀬を渡り、岩を踏み台にしてジャンプ。
と、その先に人が居た。
崖の上に立つその人は、他のよりも一回り、いや二回りは大きな釣り竿を持ち、じっと海を見ていた。
「ねえねえ、ここら辺って、何が釣れますか?」
その人が振り返る。
身体の大きい、ヒューマンの老人だった・・・が、ダイアロスに住むヒューマン達とどことなく雰囲気が違う。
見た事のない服、長い髪を三つ編みにしている、そして切れ長で細い目。
明らかにこの島の出身ではない、どこか他の国から来た人物だろう。
その証拠に、独特のイントネーションで喋り始めた。
「アイヤー、こんな所まで人が来るとは珍しいアルな。この島ではサメがよく釣れるアルよ。」
「え・・・サメってあの牙の鋭い大きなあのサメ?」
「そうアル。少年なんて一口でペロリとたいらげちゃうようなサメが、ここには居るアルよ。」
「・・・え・・・え、もしかすると僕、ここまで泳いできたときに食べられてたかも、かも・・・?」
ライチの顔から血の気がサァーッと引く。
その様子を見て、老人はクスクスと笑った。
「すまんアル少年。脅かすつもりはなかたアルよ。この辺に来るサメは私が釣ってしまうから、遭遇する事は少ないアルよ。」
「あ・・・ああ、そうなんですか。良かったー。」
「それは良かたアルな。」
そう言うと老人は、ライチの姿をもう一度下から上まで見て、そして言った。
「一つ聞くが、君はもしかして、シェル・レランか?」
「え? うん、そうだよ。」
ライチが答える。
老人は「そうアルか。」と短く言ってから、少し間をおいて、そしてこう切り出した。
「・・・一つ頼みがあるアル。ある料理を作ってきて欲しいアル。」
「私の名前はマオというアル。このダイアロス島から遙か西にある大陸から来たアル。訳あってこの小島で釣りしてるが、たまに故郷を思い出すアル。特に最近は、故郷の料理が食べたいと思うようになたアル。」
そう言いながら、マオは鞄から巻物を二巻き、取り出した。
その内の一本をライチに渡す。
「これが故郷の料理「麻婆豆腐」のレシピある。この島で獲れる食料だけで出来るようにしてあるアル。とりあえず見て欲しいアル。」
ライチは巻物の紐を解き、スルスルっと広げていく。
「えと、えと・・・唐辛子に、オルヴァンの肉に・・・えと、豆腐・・・って、何だろう?」
「豆腐は、私の国より更に東にある島国、ヤマト国の食材アル。この島の露店で売られているのを一回見た事があるアル。」
「へー、じゃあシレーナさまだったら知ってるかな・・・それと後は、ソウル・オブ・シルクロード? えっと、これは何?」
ライチが尋ねる。と、マオはもう一本の巻物をライチに差し出した。
「これが「ソウル・オブ・シルクロード」アル。一回使うとあら不思議、私が居た大陸の風土が場を支配するアル。その中でないと麻婆豆腐は作れないアルよ。」
「へー。ソウル・オブ・ヤマトと同じようなものなんだー(第32章
参照)。」
ライチは巻物を受け取る。
「ソウル・オブ・ヤマトを知っているなら話早いアル。貴重品アルから、あまり使わないように・・・。」
と、マオが喋っているが。
その話を全く聞かず、ライチは巻物の紐を解いた。
・・・シャーン、シャーンと、銅鑼の音が響く。
どこからか、京胡や月琴の音色が聞こえはじめ、合わせるように笛の音が奏でられる。
巻物から飛び出してきたのは、大きな竜。うねるように飛び回り、そして天へ昇っていく。続いて白黒のパンダが、チャイナ服の美女が、槍を構えた拳法家が、派手なメイクを施した京劇の役者が、馬に乗った豪傑が、中華包丁を構えた料理人が、とにかく色々な「大陸の風土」が視覚化されて飛び出しては消えていき・・・。
「ダメアル! 無駄遣いしたらダメアル!!」
マオはライチに飛びかかって、巻物を無理矢理閉じた。
途端、大陸の風土は一瞬にして掻き消え、ミーリムの無人島が戻ってくる。
「貴重品アルから、無駄使いしたらダメよ。気をつけて欲しいアル。」
そう言ってライチを叱る・・・が。
「面白かったー。ソウル・オブ・シルクロードってこんな感じなんだー。」
ライチは全く聞いていない。
そして、麻婆豆腐のレシピとソウル・オブ・シルクロードを懐へ仕舞うと、「それじゃ麻婆豆腐作ってくるねー。」と元気よく言い、マオの元を去っていった。
「・・・大丈夫アルかな?」
釣り糸を垂らしながら、自分の行動をちょっとだけ後悔するマオであった・・・
(第40章 完 → 第41章へ続く)