幕末、尊王攘夷を訴えて京都を目指すが、敦賀の手前で降伏し処刑された水戸浪士353人の墓。安政の大獄でも刑死者が8人であったことを考えると異常に多い。
ところで、日本の近代史に影響を与えた人物を挙げると、1番は明智光秀で次に徳川光圀だと思う。
日本の近世の扉を開けた信長が天下を取っていれば、家康によって歴史が中世に引き戻されることはなく、鎖国もなく、幕末に中世からいきなり近代に移行すると言う無理もなかった。
一方、光圀が始めた大日本史編纂は藩の財政が傾くほどの大事業で250年後の明治中ごろに完成した。この歴史書がなければ公方様より偉い人がいることを知る人は少なく、幕末の尊王攘夷は盛り上がらず、安政の大獄は起こったとしても井伊直弼が水戸浪士に暗殺されることはなかった。
水戸藩は大日本史研究の水戸学が盛んで、幕末、1,000人余りの浪士や町人・農民が水戸藩内で蜂起し最終的に京都を目指して進軍した。しかし、最後は福井県で諸藩の藩兵に包囲されて力尽き降伏する。
水戸藩では天狗党と佐幕派が対立し、農民・町人も巻き込んで互いの家族も皆殺しにする報復合戦が行われた。天狗党が京都を目指して頼ったのは水戸藩出身の徳川慶喜で慶喜も水戸学に造詣が深かった。
最後の将軍が慶喜でなければ大政奉還は難しかったはずで、余裕しゃくしゃくで降伏すると言う軍事的にはありえない行動もなかった。このことは西南戦争において熊本城一つで西郷軍を足止めできたことでもわかる。
確かに第二次長州征伐や鳥羽伏見の戦いは戦局の転換点ではあるが、第二次大戦で言えばミッドウェーやスターリングラードの敗戦で降伏するようなもの。
と言うことで影響の大きい人物の3番目は慶喜だと思う。