村上城(越後国・新潟県村上市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の新潟県村上市にあった城、村上城です。
村上城跡は国の史跡に指定されていて、村上城は続日本100名城の1つ(131番)に選ばれています。



村上城は、臥牛山(がぎゅうさん)に築かれていた城で、村上駅から徒歩20~30分程度で山麓まで行くことができます。


村上駅。
JR東日本の羽越本線が乗り入れています。
村上市は新潟県北部にある人口約5~6万人の市で、新潟県内で最大の面積を持つ市です。
2008年(平成18年)に岩船郡荒川町・神林村・朝日村・山北町と新設合併したことで、現在の村上市となっています。
新潟エリアでSuicaなどのIC乗車券が使えるのは村上駅が最北端となっています。


藤基神社の総門。
後に村上藩主となる内藤弌信は、兄の信貞が早世したことで家督を継ぎましたが、その後も弌信の子らが相次いで早世したことから、1717年(享保2年)に内藤家に起こる不幸を祓おうと、内藤家の祖・信成を江戸の内藤邸内に祀ったのが藤基神社の始まりとされています。
詳しくは↓↓
https://fujimotojinja.jp/


藤基神社の唐門。
1849年(嘉永2年)に江戸の藤基神社から御分霊を遷座し、村上城内の八幡宮跡地に現在の社殿を造営しました。


藤基神社の社殿。
1849年(嘉永2年)に建てられた社殿が現存していて、村上市指定文化財および歴史的風致形成建造物に指定されています。


藤基神社土塁跡。
境内には、村上城外郭の土塁跡が残されています。
村上城跡で唯一現存している土塁跡となりますが、かなり巨大です。


村上城跡の碑。
臥牛山の麓にあります。
写真の左側に向かっていくと、登城路が見えます。


城主居館跡。
村上城は山城ですから、普段から城主が本丸にいるわけではなく、通常は麓の居館に居住していました。
その跡地なのですが、現在はトイレが設置されています。


一文字門跡。
ここから20分ほどの登山となります。
本丸までの入口としての役割を持つ門で、石垣で枡形を形成し、冠木門と櫓門の二重門を設けた非常に巨大な門でした。
1620年(元和6年)頃、堀直寄が城を改修した際に設けられました。

村上城跡については、「ビジュアル再現 村上城」というサイトがとても詳しく、視覚的にも分かりやすいため、ぜひ↓↓をご覧下さい。
https://vr-murakamicastle.jp/


四ツ門跡。
七曲道とも呼ばれる登山道を登りきったところにある門で、山頂の最もくびれた場所にあります。
1つの門で4つの通路を監視できたことから四ツ門と呼ばれていたそうです。


三の丸跡。
写真に写っているのは調練場跡ですが、それらしき痕跡は何も残っていません。

村上城の築城年代は不詳ですが、この地の地頭である本庄氏が築城したといわれています。


靱櫓(ゆきやぐら)跡。
三の丸の北側に位置していた二重櫓で、現在は櫓台の石垣が残っています。


武具倉跡。
三の丸の一角には武具を納めていた倉がありました。

1568年(永禄11年)に上杉輝虎(後の上杉謙信)と籠城戦を繰り広げるなど、戦国時代には何度も戦いの舞台となります。


玉櫓跡。
三の丸の北東側に位置していた二重櫓で、こちらも現在は櫓台の石垣が残されています。
写真には櫓台が写ってなくてゴメンナサイ(汗)


井戸跡(?)。
「写真のほか何もとらない」「足跡のほか何も残さない」と書かれた看板があります。
深いです・・・。

1598年(慶長3年)に本庄氏が会津に転封となると、代わって堀秀治の家臣・村上頼勝が城主となります。
この頃から村上城は大規模な改修が始まり、1619年(元和5年)に入城した堀直寄の時に近世城郭としての整備が終わります。


中世散策コースといって、戦国時代の村上城の遺構を見ることができる散策路があるのですが、大雪による倒木の影響で立ち入り禁止となっていました。
残念ですが仕方ありません。


二の丸跡へと向かっていきましょう。

1649年(慶安2年)に播磨国姫路から松平直矩が移封してくると、村上城はさらに大規模な改修がおこなわれ、城下の拡張整備とともに、山頂には3層の天守や櫓、門などが建てられました。


御鐘門跡。
二の丸と三の丸の間にあった門で、石垣に囲まれた枡形を形成しています。
石垣に加えて門柱の礎石も残っていて、見どころ満載です。


二の丸跡から本丸跡へ向かっていきます。
正面に見えるのが出櫓跡の石垣で、本丸から二の丸方面を守る重要な役割を持った櫓です。

1667年(寛文7年)に落雷によって天守が焼失すると、その後城主がめまぐるしく変わったこともあって、再建されることはありませんでした。


黒門跡。
本丸と二の丸の間に位置する門ですが、写真手前側の道が2つに分かれているのが分かりますでしょうか??
高さが異なる門扉が2つ並んでいるという変な形をしていたようです。


平櫓跡。
本丸の南東側にあった1階建ての櫓です。
櫓台の石垣は残っていますが、今にも崩れそうな感じであまり近付かないほうが安全かもしれません。


本丸石垣。
立派な石垣が聳えていて、壮観です。


埋門跡。
こちらからも中世散策コースへ行くことができるのですが、やはり立ち入り禁止です。


冠木門跡。
本丸への唯一の出入口で、二重の枡形を形成していますが、こちらの写真はそのうちの外側に位置する枡形です。


冠木門跡の内側の枡形。
左右に聳える石垣がとても立派です。


天守台。
堀直寄が城を大改修した際に三重の天守が建てられたと考えられて、1663年(寛文3年)に松平直矩によって改築されました。
しかし、1667年(寛文7年)に落雷で焼失すると、以後は再建されることはありませんでした。


天守台には舞鶴城趾の碑があります。

1720年(享保5年)に内藤弌信が村上藩主となると、以後は代々内藤家がこの地を治め、幕末を迎えます。
幕末の戊辰戦争では、村上藩内で親幕府派と新政府派に分裂、1868年(慶応4年)に親幕府派の家老・鳥居三十郎らが奥羽越列藩同盟に合流し、羽越国境方面で新政府軍と戦います。


本丸から見た村上市の街並み。
写真の右奥には三面川、左奥には日本海が見えて、とても素晴らしい景色です。


何やら鳥居が2つ見えます。


秋葉神社。
社殿や祠などもなく、石碑だけがポツンと置かれています。


天守台を外側から。
本当に立派な石垣で、圧巻です。


村上城追手門跡。
堀直寄が城を大改修した際に設けられたと考えられていて、城内でも最大規模の櫓門が建っていました。
現在は、村上市役所の駐車場の一角に案内板があるのみで、その痕跡は残されていません。

所用で新潟に急遽帰省した際に立ち寄ったのですが、山城にも関わらず巨大な石垣が積まれていて、とても感動しました。
20~30年前にも訪問しているのですが、当時はこの城の凄さが分かっていなかったなぁと感じました。

では、久しぶりに長くなりましたが、ここで終わりたいと思います。


おしろまなぶ。