蒲原津城(越後国・新潟県新潟市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

おしろまなぶ の お城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

あっという間に5月の中旬、時が過ぎるのは本当に早いです。
コロナ以降、仕事のストレスから過食と飲酒量の増加で体重増加や血圧上昇が著しく、健康に気をつけなきゃなと思う毎日です。

さて今回は、現在の新潟県新潟市にあった城、蒲原津(かんばらのつ)城です。



蒲原津城跡は、現在の金寶寺の境内あたりにあったといわれていて、新潟駅から新潟交通のバスに乗って、新光町バス停で下車すると徒歩8分くらいで行くことができます。
また、移転先とされる蒲原神社にも、新潟駅万代口から徒歩10分くらいで行くことができます。


新潟駅万代口。
JR東日本の上越新幹線、信越本線(磐越西線直通含む)、白新線(羽越本線直通含む)、越後線が乗り入れている、新潟市および新潟県の中心駅です。
新潟市は新潟県の県庁所在地で、人口約77万人の政令指定都市です。
2001年(平成13年)に西蒲原郡黒埼町を編入したのを皮切りに、2005年(平成17年)には豊栄市、新津市、白根市、中蒲原郡亀田町・小須戸町・横越町、西蒲原郡西川町・味方村・岩室村・潟東村・月潟村・中之口村・巻町を編入し、2007年(平成19年)から8つの行政区を持つ政令指定都市に移行しました。


蒲原神社の鳥居。
蒲原神社の創建された年代は不詳ですが、1200年以上の歴史があるとされています。
元々は蒲原津にあった金鉢山に位置していましたが、江戸時代に信濃川の決壊によって現在地に移転しています。


蒲原神社。
創建当初は青神社、のちに五社神社と呼ばれますが、蒲原まつりで親しまれていたことから1981年(昭和56年)に蒲原神社へと改称しています。
公式HPは↓↓
https://kanbarajinja.jp/

蒲原津城は、1335年(建武2年)に小国政光が蒲原神社のある金鉢山に築いたとされています。
その後、小国氏をはじめ、南朝方の拠点として用いられていましたが、1341年(暦応4年)に北朝方によって攻め落とされ、落城します。
これによって越後国は北朝の支配下となり、蒲原神社とともに蒲原津城も廃されます。


蒲原神社拝殿。
訪問したのは3月だったのですが、まだ雪がちらつく天気で写真にも写りこんでいます。

蒲原神社は戦国時代末期に新発田重家によって金鉢山に再建されますが、1688年(元禄元年)に発生した信濃川の決壊で被害を受けたため、1690年(元禄3年)に現在地に移転しました。


金寶寺。
寺ヨガや子ども英会話など、地域の人々が気軽に訪れることができる様々なイベントを開催している、真宗大谷派の寺院です。
金寶寺のHPは↓↓
https://kompouji.jimdofree.com/


金寶寺の境内。
元日の能登半島地震で液状化現象が起こった影響でしょうか?境内の地盤改良工事とみられる工事をしていました。

城の痕跡といえるものは全く残っていませんでしたが、蒲原神社など地域の歴史について少しでも触れることができたことが収穫かなと思いました。

では、短いですがこの辺で。


おしろまなぶ。