桜井城(三河国・愛知県安城市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

おしろまなぶ の お城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の愛知県安城市にあった城、桜井城です。



桜井城跡は現在、城山公園として整備されていて、桜井駅から徒歩15分くらいで行くことができます。


桜井駅。
名古屋鉄道(名鉄)の西尾線(名古屋本線直通含む)が乗り入れています。
1967年(昭和42年)に安城市に編入されるまで、碧海(へきかい)郡桜井町だった名残からか、2008年(平成20年)までは碧海桜井駅という駅名でした。


桜井靖霊神社。
戦没者を祀るために創建された神社ですが、ここも桜井城の城域だったと思われます。


桜井靖霊神社の拝殿。
鉄筋コンクリート造りの立派な拝殿です。

桜井城は、この地の豪族である小浦喜平治が築いたとされていますが、築城年代については分かっていません。
その後、文明年間(1469~1487年)に松平信光が安祥城を攻め落とした際に、桜井城も松平氏の支配下に入ったといわれています。


城山公園の入口。
この地域の桜の名所らしいです。


灯明台??
こういうので城跡っぽい雰囲気を出してますね。


模擬冠木門もあります。

松平信光の子・親忠は、自身の4男・親房を桜井城主にしますが、親房に子がいなかったため3男・長親の子・信定を親房の養子とします(桜井松平家)。
松平信定は甥で宗家の家督を継いだ清康に仕えますが、信定はたびたび反抗的な態度をとります。


城山公園の内部はこんな感じです。
桜の季節には花見客がレジャーシートを敷いて花見をするんだろうなと思います。


かつての土塁跡だとは思うのですが、石垣で補強してある感じです。

1538年(天文7年)に信定が死去すると、桜井松平家は松平元康(後の徳川家康)に従うようになります。


公園内には、遊具もあります。

1590年(天正18年)に徳川家康が関東へ移封となると、桜井松平家6代・家広は武蔵国松山城へ移ったため、桜井城は廃城となりました。


土塁跡。
だいぶ削られているようですが、土塁っぽい雰囲気はとても伝わってきます。


櫻井城址の碑。
土塁上に石碑が建っています。


土塁跡。
先ほどの石碑が建っている土塁を公園の外側から見た写真です。


松平内膳正信定墓跡。
松平信定ら桜井松平家歴代の墓が城山公園の隣にあります。

それほど目立った遺構はありませんでしたが、それなりに城跡の雰囲気は感じられましたので、よかったです。

では、この辺で。


おしろまなぶ。