石巻城(陸奥国・宮城県石巻市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

おしろまなぶ の お城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の宮城県石巻市にあった城、石巻城です。



石巻城跡は現在、日和山(ひよりやま)公園となっていて、石巻駅から徒歩20分程度で行くことができます。


石巻駅。
JR東日本の石巻線と仙石線(仙石東北ライン直通含む)が乗り入れています。
仙石東北ラインは、東日本大震災からの復興のために2015年(平成27年)に設けられた路線で、仙台~石巻間を1時間以内で結んでいます。

石巻市は人口約13万5千人で、仙台市に次ぐ宮城県で2番目に人口の多い市です。
2005年(平成17年)に桃生(ものう)郡桃生町、河南町、河北町、北上町、雄勝町と、牡鹿(おしか)郡牡鹿町と新設合併しています。


日和山公園の入口付近。
鹿島御児神社への近道(?)が何だか虎口のような雰囲気です。


展望台。
日和山公園の絶景ポイントですね。
2011年(平成23年)の東日本大震災の際には、この日和山公園が多くの石巻市民の命を救うことになるのです。


展望台からの景色。
海も山も河口も見えて、本当に素晴らしい景色です。


東日本大震災前の様子がパネル写真として展示されています。
川のギリギリまで建物が迫っている様子が分かります。
これらの建物が大津波に飲まれてしまったと思うと、胸が締め付けられる思いです。
そして、その光景をここから眺めるしかなかった被災者の方々の気持ちを思うと、何と表現していいのか・・・言葉が見つかりません。


鹿島御児(みこ)神社の大鳥居。
こちらの鳥居は2021年(令和3年)に再建されたものです。
鹿島御児神社については↓↓
https://www.kashimamiko.org/


境内は一段高くなっています。

石巻城は、源頼朝の重臣・葛西清重が1189年(文治5年)の奥州合戦の恩賞として、奥州に牡鹿郡ほか数か所の所領を賜った際に築いたといわれています。
また、清重は奥州総奉行にも任じられており、奥州の御家人を統率する立場も任されました。


鹿島御児神社の社殿。
創建については不詳ですが、859年(貞観元年)までには建立されていたようです。
鹿島神宮の祭神・武甕槌命の子である鹿島天足別命が、香取神宮の祭神の子である阿佐比古命とともに東北を平定したと伝えられているそうです。
鹿島御児神社では、武甕槌命と鹿島天足別命の親子神を祀っています。


主郭とみられるあたり。
この辺りが日和山公園で一番高くなっています。

その後の葛西氏の動向には不明な点は多くあるものの、石巻城などの葛西氏の所領は戦国時代まで維持されていたといわれています。


ここからも石巻の内陸側が一望できます。
旧北上川や中州がよく見えます。


こちらも東日本大震災以前の様子がパネル写真として展示されています。
本当に川ギリギリまで建物があって、その多くが失われていることが分かります。


石垣(?)。
後世のものなのかもしれませんが、積み方をみると結構古い石垣なんじゃないかと思いますが、よく分かりません。


さらに奥に進むと一段低くなっていますが、こちらも郭跡でしょうか?

1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原攻めに参陣しなかったとして葛西晴信が改易となり、葛西氏は滅亡します。
石巻城もこの時に廃城になったと考えられています。


筆の碑。
日和山公園内には筆の碑が設置されていて、毎年筆供養がおこなわれているのだそうです。


チリ地震津波碑。
1960年(昭和35年)のチリ地震津波でも石巻の町は被災しています。
その際の教訓といいますか、記録を残す意味で設置された津波碑です。


新しめな遊具もあって、子供も楽しむことができます。

今回のブログはお城の紹介をするだけでなく、東日本大震災を忘れない、日々の生活の中に防災意識を持つことの大切さを感じて過ごしていきたいなという思いを書き綴ってみました。

では、この辺で。


おしろまなぶ。