勝山城(安房国・千葉県安房郡) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

もう3月も1週間経ちますね。早いです。
3月といえば卒業シーズンということもあり、別れの季節ですね。
新型コロナウイルスの影響で、満足な活動ができないままに卒業を迎えてしまった方々、特に中高生は3年間の内2年間をコロナ禍の中で過ごすことになりました。
ですが、この経験は将来必ず役に立つはず、そう気持ちを奮い立たせて次のステージでも頑張っていきましょう。

さて今回は、現在の千葉県安房(あわ)郡鋸南(きょなん)町にあった城、勝山城をご紹介します。
勝山城という名の城は福井県勝山市や山梨県都留市などにもありますが、今回は千葉県安房郡の勝山城です。



勝山城跡は安房勝山駅から徒歩10分くらいのところにある八幡山にあります。
近くには大黒山があって、そこには天守閣風の展望台がありますが、そちらは勝山城跡ではありませんのでお間違えの無いようご注意ください。


安房勝山駅。
JR東日本の内房線(外房線直通含む)が乗り入れています。
かつては列車交換が可能でしたが、2014年(平成26年)に島式ホームの片方の線路や架線、信号機、跨線橋が撤去されました。
鋸南町は人口約6,600人で、鋸山や日本寺大仏などが有名な町です。
平成の大合併で南房総市が発足する際、途中まで鋸南町も合併協議会に参加していましたが、途中で離脱しています。


住吉飯店の駐車場。
付近にある中国海鮮料理店・住吉飯店の駐車場ですが、こちらに勝山陣屋の屋敷稲荷の1つがあります。
住吉飯店さんでお昼が食べられたらよかったのですが、時間の都合により断念しました。


勝山藩屋敷稲荷(東)。
勝山藩屋敷内の東西に設けられた2対の稲荷社の1つです。
現在は地元の方が管理しているようです。


屋敷からの抜け穴。
東の屋敷稲荷のすぐ近くにあります。
勝山城のあった山裾には第二次大戦の際に防空壕が設けられましたが、そのうちの1つがこの抜け穴に通じていたそうです。
何のために抜け穴が設けられたのでしょうね・・・?


井戸跡。
勝山陣屋の井戸跡が残されています。
井戸の中は覗けないように厳重に蓋がされていますね。


勝山藩屋敷稲荷(西)。
西の屋敷稲荷は岩盤に中に入り込んでいます。
西側にも抜け穴があったようですが、どこにあるのか分かりませんでした。


観音堂への道。
落石注意の看板があります。


勝山藩屋敷観音堂。
勝山城跡のある八幡山に寄り添う形になっています。
宅地化が進んでいて勝山藩の屋敷自体は残っていませんが、周囲には当時の名残があります。


内宿隧道。
八幡山を貫くトンネルがあります。
1960年(昭和35年)に竣工した記念碑がトンネルを抜けた反対側に設置されています。
心霊スポットになってもおかしくないような雰囲気のトンネルですが、短いからでしょうか、特に心霊スポットにはなっていないようです。


八幡山遊歩道。
ここから八幡山を登っていきますが、人様の庭先をかすめるようなルートになっていて、ちょっと気まずいような微妙な気持ちになります。

勝山城は、源頼朝が1180年(治承4年)の石橋山の戦いに敗れて安房に逃れてきた際に、頼朝による参集の求めに応じた安西氏が出城として築いたのが始まりといわれています。


遊歩道を進むとこのように左右を岩盤に挟まれた場所があります。
当時からこんな感じだったのか、遊歩道整備の際に削られたのかは分かりませんが、雰囲気はスゴくいい感じでした。

その後、里見氏の配下になると、里見水軍の本拠地となります。


郭跡。
主郭というべきなのか2郭というべきなのかよく分かりませんでしたが、ここが一番広い平地です。


郭跡からの眺め。
漁港である勝山港が一望できます。
真ん中右寄りの山がこれから向かう大黒山展望台のある大黒山です。
ちょっぴり天守閣風の屋根が見えるの分かります??


こちらの鳥居をくぐって八幡神社へ向かいましょう。

江戸時代初期に里見氏が改易されると、内藤氏、佐倉氏の居城となり、1668年(寛文8年)に酒井忠国が若狭国小浜より分封されて入城すると、以後は明治に至るまで酒井氏の居城となりました。


結構階段が急で、まだまだ寒いのに汗だくになりました(苦笑)
日頃の運動不足が響いています。


八幡神社。
周囲に神社の由緒などが書かれたものもなく、勝山城との関連は分かりませんでした。
ここから先は倒木やら藪やらが酷く、散策を断念しました。

では、次に大黒山へ向かいます。


醍醐新兵衛の墓所。
1630年(寛永7年)に生まれた醍醐新兵衛定明は、ここ勝山で捕鯨業を始め、鯨組を組織します。
醍醐家は勝山藩から名字帯刀を許されるなど勝山の名主として村をまとめる一方、妙典寺や浄蓮寺の再興にも貢献したそうです。
さらに、幕末には幕命により蝦夷地へ渡って北海道や樺太に漁場を開くなど北洋漁業の発展にも貢献しました。


岩牢跡。
徳川10代将軍家治の頃、勝山藩領の農民の窮状を直訴した義民・忍足佐内をこの石牢に入れ、見せしめとしたそうです。
今では二重のフェンスに囲まれて入ることはできません。


大黒山の山頂に到着すると、祠と勝山城の由来が書かれた石碑を見つけることができます。
なぜ勝山城の由来を大黒山で目にするのか・・・、謎です。
勝山城跡は先程登ってきた八幡山なんですけどね。


展望台。
手摺りが錆びて朽ち果てそうになっています。
危ないので手摺りには触らないようにしましょう。
展望台は1990年(平成2年)に鋸南町の町制施行30周年を記念して建てられたそうですが、30年間海風にさらされ続けているためか、かなりボロボロです。


勝山城跡を展望台から眺めてみましょう。
鋸南町を360度見回せて本当にいい眺めですが、安全面を考慮するとそう遠くない将来には展望台に立ち入れなくなる日が来るのだろうと思います。

まずは勝山城の案内板は八幡山の方にも設置して欲しいなぁと思いました。
どうして大黒山の方に設置しちゃったんでしょうね。

平成の大合併に取り残された感じのある鋸南町ですが、のどかでいい雰囲気でしたよ。

では、この辺で。


御城学。