殿台城(下総国・千葉県成田市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

皆様、いかがお過ごしでしょうか?
私は日々悶々と過ごしておりまして、かなり精神的に参っている状態です。
ああ、早くパーッとどこかに出かけたいなぁ・・・。

さてそんな今回は、仕事の都合で近くまで行ったので訪問してきました、千葉県成田市にあった城、殿台城です。



殿台城跡は現在、大宮神社やその周辺の住宅地となっていて、京成成田駅中央口から千葉交通バスに乗って土屋入口バス停で下車すると、徒歩5分くらいで行けます。


JR成田駅東口。
JR東日本の成田線(総武本線、常磐線、鹿島線直通含む)が乗り入れています。
以前も成田駅のご紹介をしていますが、佐倉駅~松岸駅の間の本線と我孫子方面の支線、成田空港方面の支線があって、成田駅からは4方向へ線路が伸びていますが全て成田線です。

京成成田駅の画像および説明は省略します(笑)
過去の成田市内の城の説明を見てください(手抜き)


成田新幹線用の橋脚。
殿台城跡から徒歩5~10分くらいのところにある、イオンモール成田の近くにあります。
成田新幹線は1971年(昭和46年)に整備計画が決定され、一部の工事が着工されましたが、沿線自治体の反対や成田闘争の影響で思うように用地買収が進まず、1983年(昭和58年)に工事は凍結、そのまま計画も消滅しました。
現在は京成電鉄の成田スカイアクセス線とJR東日本の成田線(空港支線)の線路が敷設されていて、都心と成田空港を結ぶ重要なアクセス路線となっています。


大宮神社参道の入口。
立派な石碑があって、この先に神社があるのを教えてくれます。


謎の石碑。
大宮神社の石碑に隣接しているのですが、文字がすり減っていて全く読めません(汗)


堀底道のようなところを通ってきます。

殿台城は千葉氏の家臣である馬場勝政が居城としていたとされています。


大宮神社の鳥居。
結構新しい感じの鳥居が迎えてくれます。


大宮神社の拝殿。
大宮神社は、天正年間(1573~1592年)に殿台城主の馬場勝政が建立したと伝えられています。


奥に一段高くなっている場所があります。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めによって千葉氏とともに滅亡し、殿台城も廃城となりました。


多くの祠や出羽三山の供養塔などが立ち並んでいます。
ここが主郭跡だったのかな、と地形的に思ったりもしています。


大宮神社境内から一段低くなったところにある公園。
子供たちの遊び場的な公園ですが、個々の周辺の住宅街を含めて殿台城跡だったようで、宅地開発の波に押し寄せられた感じがしています。


成田鉄道多古線橋台跡。
殿台城跡から徒歩5分くらいのところに、1944年(昭和19年)の第二次大戦下で資材供出のために営業休止し、そのまま廃線となった成田鉄道多古線の橋台が残されています。
成田鉄道については昨年ご紹介した押畑城でも触れましたが、成田市は空港ができた関係で色々と開発が進んでいるにも関わらず、75年以上前に廃止された鉄道の痕跡が未だに残っているということに驚かされます。

前回は殿山、今回は殿台というように、殿がいた高い場所って感じのそのまんまなのがいいですね。
あまり遺構らしき遺構は見られませんでしたが、小規模な城跡の雰囲気は感じることができました。

緊急事態宣言が解除になって、色々なところに出掛けられるようになったらまた城攻めをエンジョイしたいと思います。
子育てに支障が出ない程度に・・・(笑)

では、この辺で。


御城学。