山科本願寺(山城国・京都府京都市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

おしろまなぶ の お城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

新型コロナウイルス感染症による影響で、Jリーグが水曜日のルヴァンカップ第2節から来月15日のリーグ第4節までの延期を発表しました。
やむを得ない措置とはいえ、延期した試合をどこに組み込むのか難しいところですね。

また、全国の全ての小中高などの学校に休校を要請するとあります。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202002/27corona.html

私の子供の通っている保育園でも、咳・鼻水・微熱等でも登園しないようにといわれたようで、今日子供を仕事に連れていくか悩んでいます。
小さな子供を連れて通勤電車に乗ったら休校・休園する意味ないんじゃないですかね?

新型ウイルスが不安なのは分かりますが、あまりにも騒ぎすぎなんじゃないかという気もしています。

さてさて、途中で千葉市の城跡を挟みましたので昨年末に訪問した城の紹介が途切れていましたが、再開します。
今回で最後です。

今回は、現在の京都府京都市山科(やましな)区にあった山科本願寺をご紹介します。
寺じゃんって感じですが、高度に武装化された寺ということで城に含めるケースが多いため、当ブログでもご紹介いたします。



山科本願寺は現在、本願寺山科別院や山科中央公園などになっていて、山科駅から徒歩15分くらいで行くことができます。


山科駅。
JR西日本の琵琶湖線と湖西線(ともに京都線、北陸本線直通含む)、京都市営地下鉄の東西線が乗り入れていて、隣接して京阪電鉄京津線の京阪山科駅があります。
多くの路線が乗り入れる乗換駅で、京都市中心部や大阪、神戸方面へのアクセスも便利なことからベッドタウンとして栄えています。


山科中央公園。
遊具で親子連れが1組遊んでいました。
こうしてみると普通の公園といった感じです。


土塁跡。
木が生い茂っていて分かりにくいですが、植え込みの合間から土塁上に登ることができます。

山科本願寺は、1483年(文明15年)に本願寺第8世法主・蓮如上人により創建されました。


登って降りて振り返ると、こちらの写真になります。
真ん中に土塁跡が写っているのですが、木しか見えません。

周囲に堀と土塁を構えて城郭寺院としての形式を整え、寺内町を形成していました。


堀跡。
先ほどの写真で見ると、土塁の左側にあります。
テニスコートになっているのですが、ネットもボロボロで近年はあまり使われていないようです。
まあ堀跡ということもあって、見ての通り水捌けが悪すぎますからね。


山科中央公園の入口。
こちらの方がメインの入口なのでしょうね。


土塁跡を反対側から見てみましょう。
こちらの方が土塁っぽさというか、全貌までは見えませんが雰囲気くらいは掴めると思います。


野球やサッカーなどができるグラウンドもあります。


本願寺山科別院。
1732年(享保17年)、住如上人によって北山別院の旧堂を蓮如上人の廟所の東側に移築、1774年(安永3年)に法如上人の時に現在の本堂が建立されました。
公式HPは↓↓
https://www.yamashinabetsuin.jp/


伊勢講舎。

1532年(天文元年)に細川晴元が六角定頼や法華一揆と手を組み、山科本願寺を襲撃します(山科本願寺の戦い)。
これによって山科本願寺は炎上、第10代法主・証如上人は大坂の石山御坊へと逃れ、本拠を移して石山本願寺としました。


研修会館(寺務所)。
1781年(天明元年)の蓮如上人300回遠忌にあたって、鐘楼・太鼓楼、茶所等が増築され、1823(文政6年)年には中宗堂が蓮如堂として本堂の南に建立されます。


本堂。
とても大きな本堂が建っています。
1998年(平成10年)、蓮如上人500回遠忌を迎えるにあたり修復されています。


太鼓楼。
櫓風の建築物がありますが、かなりボロボロで立入禁止のようで入れないようになっています。

予定外に急遽訪問したため、見逃しが多いです。
また、再訪したいと思いますので、再訪したらまたアップしたいと思います。

では、この辺で。


御城学。