庁南城(上総国・千葉県長生郡) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の千葉県長生(ちょうせい)郡長南(ちょうなん)町にあった城、庁南(ちょうなん)城です。



庁南城跡は現在、庁南城跡太鼓森とその周辺となっていて、茂原駅南口から小湊鉄道バスに乗り、千田バス停で下車すると徒歩20分くらいで行くことができます。


茂原駅南口。
JR東日本の外房線(総武快速線、京葉線直通含む)が乗り入れています。
人口9万人弱で外房地域では最大の都市・茂原市の中心駅です。
茂原市は、庁南城跡太鼓森のある長南町など長生郡6町村との合併協議会を設立したものの、最終的には物別れに終わっています。


庁南城跡太鼓森の入口。
一応舗装されてるので車で近くまで来るのは可能ですが、非常に細い道ですので、転回もままなりません。
付近にあるデイサービスセンターびおとーぷの駐車場を借りるのがいいかもしれません。


右側には堀切跡か虎口跡か、気になる地形があります。


少し進んで振り返ると、虎口っぽい雰囲気が出ています。
いや、やっぱり竪堀状になってるだけの堀切かな・・・?


そして、すぐ先は断崖絶壁・・・(汗)
引き返して大人しく太鼓森へ進みましょう。


登城路。
登城路というか参道というか・・・。右側に何て書いてあるかよく分からない石碑があります。

1456年(長禄2年)、庁南城は真里谷城とともに甲斐武田氏の一族で上総武田氏の祖となる武田信長によって築かれたとされています。


妙見神社の鳥居。
千葉氏でおなじみの妙見神社ですが、庁南城も上総武田氏の前に千葉氏の一族・庁南氏が城を築いていたという説もあります。


右側が土塁っぽくなっている道をさらに進みます。


妙見神社。
ここにはかつて物見櫓が建っていて、家臣への合図などの際に太鼓を打ち鳴らしたといわれています。
庁南城の城域がどれほどのものであったか、またどのような構造であったのか、不明なことが多いそうです。
まあ戦国時代などの城にはよくあることだと思います。


判読不能の石碑。
この辺りの石碑を解読できるようにすることから始めていく必要がありそうですね。


妙見神社の横にも土塁と思われる地形が見られます。

その後は代々上総武田氏が城主となりますが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅亡すると、庁南城も落城します。


妙見神社の向かいに郭っぽいところがありそうでしたが、ものすごい薮のため断念しました。
下手に踏み入ったりすると崖から転落する恐れがありますので・・・。


土塁というか細尾根というか、登れそうな道があったので登ってみます。
ええ、この木のトンネルをくぐって・・・(汗)


ちょっとした平地があって、ここにも物見櫓か何かあったのかなぁと思いました。
妙見神社があるところは実は郭で、ここが物見櫓だったのかもしれません。
妄想(想像)が膨らみます。


太鼓森方面をちょっと引いた位置から撮影してみます。
三方を尾根に囲まれた感じが何となくわかります。


長久寺の山門。
長久寺は1472年(文明4年)に建立されたといわれる日蓮宗の寺院です。
庁南城最後の城主・武田豊信は、武田信玄の三男・信之であるという伝承もありますが、定かではありません。


長久寺の本堂。
ここも庁南城の一部で、城主の居館があったともいわれていますが、やはり定かではありません。



らーめんわかしおアルカード茂原FS店。
茂原駅の駅ビル「アルカード」内にあるラーメン屋さんでお昼を頂きました。
隣のロッテリアと経営母体が一緒らしく、飲食スペースも店員さんも共通ですしレシートにもロッテリアと書かれています(笑)
アルカード茂原FS店という割に、他に店舗があるわけでもなさそうですし、このラーメン屋さんは一体何・・・??


味噌タンタン麺味玉のせ大盛(820円)。
意外とといったら失礼ですが、美味しく頂きました。

アクセスがよくないのでなかなか訪問できませんでしたが、頑張って行ってきました。
あんまり城の規模や構造などが判然としないので、やや消化不良な城攻めとなりました。

では。


御城学。