小沢城(武蔵国・神奈川県川崎市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

おしろまなぶ の お城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の神奈川県川崎市多摩区から東京都稲城市にまたがっている、小沢城をご紹介します。



小沢城跡は現在小沢城址緑地保全地区となっていて、京王よみうりランド駅から6分ほど坂道を登っていくとたどりつきます。
または、京王稲田堤駅から徒歩15分ほどで行くこともできます。


京王よみうりランド駅。
京王電鉄の相模原線(京王線、京王新線、都営新宿線直通含む)が乗り入れています。
よみうりランドの最寄り駅ですが、坂道を25分ほど登らないと到着しません。
よみうりランド直営のロープウエーもあるので、そちらを利用するのもいいと思います。
また、読売ジャイアンツ球場やヴェルディグラウンドもあり、両チームのファン・サポーターが見学に訪れています。


京王稲田堤駅。
京王よみうりランド駅の隣の駅ですので、同じく京王電鉄の相模原線(京王線、京王新線、都営新宿線直通含む)が乗り入れています。
特急も停車する便利な駅で、JR東日本の南武線が乗り入れる稲田堤駅へは徒歩5分ほどですので、乗り換えにも利用できるかと思います。


天神坂。
竪堀の堀底道のような感じの上り坂を登っていきます。
麓にある穴澤天神社につながっているため、天神坂というのだと思われます。


天神坂を登りきったところにある、虎口っぽいところ。

小沢城は、平安時代末期に稲毛重成によって築かれたといわれています。
その後、重成は小沢城を子の小沢重政に譲り、自身は枡形山城へと移ります。


富士講の広場。
江戸時代に富士山信仰に用いられたスペースです。
ここの広場は何かの郭だったのでしょうか??何もなかったようには思えませんが・・・。


小澤城址の碑。
立派な石碑があります。


憩いの広場みたいな感じのスペースが広がっています。


空堀。

1531年(観応2年・正平6年)の観応の擾乱の際に、足利尊氏の弟・直義が立てこもる小沢城を、尊氏の子である義詮や基氏の命を受けた高麗経澄が攻め落とします。


物見台跡。
ここから麓を見張っていたのでしょうが、木々が生い茂っていて、視界は良くありません。


土橋っていうか、木橋っていうか・・・。

1530年(享禄3年)には、北条氏康が上杉朝興を迎え撃った小沢原の戦いで小沢城の争奪戦を繰り広げ、扇谷上杉氏の軍勢を退けた氏康が初陣を飾ります。


古井戸。
井戸跡あるいは狼煙台の跡といわれていますが、説明板には井戸跡であると思われる理由が書かれていました。


小高い丘があるので登ってみましょう。


浅間山。
浅間山と聞くと、長野県から群馬県にまたがる山を思い浮かべますが、どうみても違います。大した山ではありません(失礼)。
きっとここも物見台か何かだったと思われます。
山頂には祠が横向いてますので、正面に行ってみましょう。


浅間山山頂の祠。
この小さな祠が浅間神社なのだそうです。
神社というには小さすぎますね。鳥居もないですし・・・。


馬場跡。

戦国時代以降、小沢城は放置され廃城となりますが、江戸時代になると地元住民による富士山信仰の場となります。


探照灯跡。
小沢城跡の一角には、太平洋戦争中に探照灯が設置されました。
ここから上空のB29を照らし、枡形山城跡に設置された高射砲で砲撃していたのだそうです。


地面が凹んでいますが、草木で何が何だかわかりません(汗)



穴澤天神社の鳥居。
穴澤天神社は紀元前423年(孝安天皇4年)の創建とされ、少彦名命を祭神としている歴史ある神社です。
1694年(元禄7年)に社殿を改築した際に天満神社を合祀したとされていることから、菅原道真も合祀されています。


社殿。
現在の社殿は1986年(昭和61年)に修復したものです。
穴澤天神社のHPは↓↓
http://anazawatenjinja.jp/


ジャイアンツ球場。
二軍の本拠地でもあり、室内練習場も備える施設です。
出待ちのファンとか結構いて、プロ野球選手の人気の高さを実感しました。

小沢城跡について、川崎市教育委員会のページを↓↓に貼っておきます。
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000108.html

リアルぽちっと深大寺城で話を聞いてから、ずっと行きたかったのですが、ようやく行けました。
ここも解説聞きながらだともっと有意義な城巡りになるのかなと思いました。
では、この辺で。


御城学。