御着城(播磨国・兵庫県姫路市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の兵庫県姫路市にあった城、御着(ごちゃく)城です。
4週にわたってお送りしてきた兵庫県姫路市の城も一段落です。



御着城跡は現在の御着城跡公園やその周辺にあたり、御着駅から徒歩10分程度で行くことができます。
小寺氏の御着城は、別所氏の三木城や三木氏の英賀城と並び播磨三大城ともいわれた平城で、姫山城(後の姫路城)を支城としていました。


御着駅。
JR西日本の山陽本線(東海道本線、北陸本線、赤穂線直通含む)が乗り入れています。
山陽本線の姫路駅~神戸駅間は神戸線の愛称が付けられていて、御着駅もこの区間内に含まれています。
御着駅の背後には山陽新幹線が通っていて、新幹線が轟音を響かせながら通過していきます。


御国野(みくにの)公園。
住宅街の一角にひっそりとある小さな小さな公園です。
ここに小寺大明神があります。


天川城址 小寺城主之奥都城の碑。
天川城というのは御着城の別名ですね。
で、奥都城(おくつき)というのは、神道式の墓のことだそうです。
奥都城っていう城があったのかと勘違いしてしまいそうな、そんな字面をしていますね。
左側には小寺政隆の歌碑が設置されています。


小寺大明神(天川神社)。
御着城主の小寺氏一族と御着城に関係する人々が祀られています。
それにしても、小さいですね・・・。
国道で分断されていますが、御着城跡公園とともにここも御着城の本丸跡なのだそうです。


御着城址の碑。
御国野公園から歩道橋を渡ってすぐのところに御着城跡公園があります。
御着城跡公園の入口付近に、この立派な石碑があります。


御着城本丸跡。
先程の小寺大明神のある御国野公園ともども、御着城の本丸跡でした。

御着城は、1519年(永正16年)に播磨国守護・赤松氏の家臣である小寺政隆によりに築城されました。


一見すると普通の公園です。

以後3代に渡り、小寺氏の居城として繁栄します。


御国野公民館。
1階に姫路市東出張所を置く2階建ての模擬天守というか、天守閣風建造物というか・・・。
公民館については↓↓
http://www.city.himeji.lg.jp/s110/2212782/_9429/_9431/_22911/_24045.html


黒田官兵衛 顕彰碑。
右側の石碑には、黒田官兵衛孝高と御着城にまつわる話が書かれています。

1575年(天正5年)、織田信長の中国地方平定の一環で羽柴秀吉が播磨国へ侵攻すると、城主の小寺政職は家老の小寺孝隆(後の黒田官兵衛孝高)の進言もあって織田氏につきます。


黒田家廟所。
福岡藩10代藩主・黒田斉清が1802年(享和2年)に完成させたもので、黒田孝高の祖父・重隆と生母・明石氏の墓が並べられています。

しかし、別所長治や荒木村重の織田氏離反に同調したため羽柴秀吉に攻められ落城し、廃城となりました。


御着城跡グラウンド。
このごく普通のグラウンドが二の丸跡といわれています。

既に4ヵ所となる城跡を巡っていて疲れていたせいか、御国野公民館の裏手にある天川橋と、御着駅付近にある播磨国国分寺跡を見るのを忘れるという大失態を犯しました・・・。
で、帰路につくべく姫路駅へと戻るのでした・・・。



麺や六三六 姫路店。
姫路駅前の御幸通商店街の一角にあるこちらのラーメン屋さんでお昼を頂きました。
公式HPは↓↓
http://www.rokusanroku.com/


特製六三六らーめん(910円)。
とろみのあるスープに麺がからんで、とても美味しかったです。

御着城跡は、姫路城を支城としていた面影は全くといっていいほど残っておらず、少々淋しい感じもしました。

では、この辺で。


御城学。